アメリカの独立記念日
7月4日、アメリカは、独立記念日を迎えます。
IRIBアボルファトフ解説員
アメリカの独立記念日は、盛大なパレードや花火、家庭でのパーティや長い演説などによって祝われます。この日には、13植民地のイギリスからの独立とアメリカの革命の理念が繰り返し語られます。その理念は、240年前、大英帝国の植民地主義のもとにおかれていた国民が、新たな国家を打ち立てるきっかけとなったものです。
この独立革命から250年近くが経過した今、この革命の理念はほとんど消え去っています。この革命は、大西洋の向こうの国から来た人々によって不公平な法が押し付けられ、抗議に対して暴力が行使されていた中で起こりました。イギリスの国王ジョージ3世の行動に対し、大衆はまず、抵抗し、イギリス製品をボイコットしました。その後、次第に武器による蜂起に発展しました。この戦争は、最終的に、1776年7月4日の独立宣言につながります。この宣言では、「すべての人間は平等に作られており、創造主によって一定の奪いがたい権利を与えられ、その中には、生命、自由、および幸福の追求が含まれていることを、われわれは自明の真理であると信じる」とされています。
アメリカの独立戦争の理念は、「生命、自由、および幸福の追求が奪われた場合、専制的な統治体制のもとから脱し、立ち上がることは合法とされる」という一文に集約されています。
こうした中、アメリカ合衆国が誕生してから240年、この国の政府は、国民だけでなく、世界の他の地域の人々に対して、この理念を守っていません。13植民地の市民の自由の追求は、それからおよそ80年後まで、黒人の奴隷を例外としていました。また、アメリカは、誕生の翌日から、原住民の殺害を続けました。言い換えれば、7月4日に実現された自由と公正は、ヨーロッパ系の白人男性のみに適用されるものだったのです。とはいえ、アメリカが、まだ世界と幅広い関係を持っていなかった100年後まで、そのような矛盾はアメリカ国内のみに限られていましたが、20世紀の初めから、アメリカは次第にイギリスのような帝国主義国となりました。
現在、独立戦争当時のような理想的な社会は影を潜めています。アメリカでは不平等や差別が見られますが、革命が起こるほどではありません。それでもなお、直接、あるいは間接的にアメリカ政府の支配下に置かれてきた人々は、革命、蜂起、抗議の道を選んできました。そしてその多くの場合、アメリカ政府は、240年前にジョージ3世が取った道、つまり、戦争や殺害、制裁といった道を選んでいます。そしてこの数十年、アメリカの植民地主義に対する抗議や革命が起こっています。
このことから、240年前に起こり、のちに逸脱した革命は、最終的にその起源であるアメリカに戻ってきたと言えるでしょう。革命によって誕生した国であるアメリカは、現在、世界の他の地域における革命を弾圧する国となっているのです。