3月 16, 2024 20:55 Asia/Tokyo
  • ネタニヤフ・イスラエル首相の傍らに立つショルツ・ドイツ首相
    ネタニヤフ・イスラエル首相の傍らに立つショルツ・ドイツ首相

2024年12月14日、ドイツにあるベルリン自由大学の学生団体がパレスチナ国民との連帯をアピールする集会を組織しました。ドイツでも前代未聞とされるこの集会は、一部の人々の妨害行為にもかかわらず、完全に平和的に開催されたものの、その結果は思わしくありませんでした。

大学側はこの事件への対処として、警察に通報し、抗議活動を行った学生20人を逮捕しました。警察も大学関係者も、この抗議活動で反ユダヤ主義や人種差別的な行動は取られなかったことを認めた一方で、大学側はこれらの学生の有罪を宣言するとともに、彼らの国外追放を求める2万6000人が署名した嘆願書まで準備されていました。

12月14日の事件と、それに続いての法的脅迫及びメディアによる嫌がらせが発生したのは、ドイツ社会がパレスチナ国民との団結を訴える人々を攻撃する中でのことです。この執拗な大規模キャンペーンは、ドイツ政府とその徹底的なイスラエル支援にあえて抗議しようとする人々や組織の排除や脅迫、弾圧、さらには国外追放を目的に企画されたものでした。

 

ベルリンでの学生による反シオニストデモ

しかし、こうした脅迫や嫌がらせの主な目的は、ドイツの歴史的罪であるホロコーストを口実として同国全域に贖罪意識を広めることにあります。

贖罪意識拡散のメッセージは極めて明白であり、その内容は「ドイツはユダヤ人排斥という自らの立場・姿勢において、1つの例外である」というものです。

ドイツはナチス時代の例外主義に反対してはいますが、今日では同じ行動を異なった、しかも明らかに革新的な方法で定着させているのです。

これまで、さまざまなユダヤ人の作家や学者は何度も繰り返し、この贖罪的なアプローチの反ユダヤ主義的な性質を繰り返し指摘してきました。

フランスのユダヤ人作家エミリア・ロイグはこれに関して、「私たちには、この類のものと定義づけられない部類の反ユダヤ主義がある。そしてそれは、ドイツでの多数派となる言説に従わないユダヤ人の声を沈黙させることである」と語りました。

 

フランスのユダヤ人作家エミリア・ロイグ

 

一方で、ドイツのユダヤ人作家Emily Dische Becker氏によれば、 反ユダヤ主義の疑いで(或いはむしろ、パレスチナ人との連帯表明したために)ドイツでされた人々の3分の1は、ホロコーストを生き延びた人々の子供たちも含めたユダヤ人自身だったということです。

そもそも、「贖罪」はユダヤ人の安全を重視していません。さもなくばユダヤ人、アラブ人、イスラム教徒に対するヘイトクライムが増加しており、集団的連帯が必要とされているこの時期に、これほど大胆に、社会的緊張を扇動する結果を招くような言説を押し付けることはなかったはずです。

また、贖罪はドイツ人が国家テロ、大量虐殺、組織的な人権侵害に対して原則的な立場を取ることを妨げますが、これは全ての政府であれ、特にドイツの歴史的責任となるべきものでもあります。

 

「一つのホロコーストは別の大量虐殺を正当化しない」と書かれた、反シオニストのデモ参加者が掲げるプラ​​カード

 

反シオニズムデモの参加者の1人が掲げていたプラカードには、「1つのホロコーストが別の大量虐殺を正当化することはない」と書かれています。

シオニスト政権イスラエルの政府と同政権軍当局は繰り返し、恥も外聞もわきまえず公然と大量虐殺の目標を宣言してきました。しかし、ドイツ当局や著名人は依然としてそれらを無視し続けています。彼らはまた、イスラエルが間違いなく大量虐殺を行っているとするICJ国際司法裁判所の判決や、イスラエルのアパルトヘイト的体質、そして歴史に残る国際法違反に関する人権団体や国際社会の大部分の見解の一致を無視しているのです。

贖罪意識により、ドイツはこれまで通り拡張主義的な外交政策、人種差別的な世界観を反映した外交政策を追求し続けられています。そしてそれには、イスラエルや西アジアの他の反動的政権への継続的な支援が必要となっています。

また、ドイツは贖罪という名目で、さまざまな少数派に対する国の構造的かつ制度化された人種差別を隠蔽できるようになっています。

どうやら、ドイツの例外主義は、ある形態の人種差別を別の形態に置き換えただけに過ぎず、今日の反アラブ・イスラムという偏見に対する国際社会の安直な思考や怠慢を利用しています。実際、それは代替的な被害者社会を生み出した格好となりました。

最近ドイツ・ケルン市及び、あるカーニバルで行われたショーは、このプロセスを如実に物語っていました。このカーニバルでは、パレスチナ風のスカーフをかぶり、「憎しみ」と「暴力」という名前の2匹の犬を抱いた女性の写真が提示されています。これらの犬の首輪もパレスチナ国旗をあしらったものでした。反ユダヤ主義という暗喩を、ドイツ人の意識の中にパレスチナ人として刷り込まれているものに置き換えていることは、贖罪意識的かつ人種差別的な性質を見事に表しています。

 

パレスチナ人が祖国を負われた歴史的な災厄・ナクバ

 

こうした中、歴史の振り返りの衝撃的な例として、イスラエルの議員さえもこの用語を使用しているにもかかわらず、ベルリンの学校には1948年のナクバ(アラビア語で「災厄」の意)即ちイスラエルの創設を「神話」として説明するビラを配布するよう通達がなされました。

この大規模な侵略のさなか、歴史も、ドイツの学術機関も、さらには人間の尊厳さえも、ほとんど何の行動も起こしていません。彼らは社会の道徳的良心として行動し、現在の歪んだ公的言説に反対すべきであるにもかかわらず、責任という重荷を回避しているのです。

 


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