植民地主義は忘れ去られない理由とは?
https://parstoday.ir/ja/news/world-i131056-植民地主義は忘れ去られない理由とは
北アフリカ・アルジェリアの議会が、1830年から1962年にかけて同国に対し行われたフランスの植民地主義を「犯罪として扱う」法案の審議を初めて開始しました。
(last modified 2025-12-22T10:40:31+00:00 )
12月 22, 2025 14:29 Asia/Tokyo
  • アルジェリア議会の様子
    アルジェリア議会の様子

北アフリカ・アルジェリアの議会が、1830年から1962年にかけて同国に対し行われたフランスの植民地主義を「犯罪として扱う」法案の審議を初めて開始しました。

アルジェリアが独立してから60年以上が経った後、同国議会で「フランスの植民地主義を犯罪とする」法案が審議されていることは、単なる法的、象徴的な取り組みではなく、「植民地の記憶」がアルジェリアとフランスの間の政治、外交紛争の中心に戻ってきたことを示す、意味ある兆候と言えます。

アルジェリアとフランスの関係が最も緊迫化した時期の一つを迎えている状況において、この行動は、過去に焦点を当てるのではなく、両国の関係の将来、さらには植民地主義が残した負の遺産への欧州の対処方法に直接疑問を突き付けるものです。

ヨーロッパによる直接的な植民地主義は第2次世界大戦終結後、特に1950年代から1960年代にかけて公式には終焉を迎えたものの、植民地主義の終焉は決してその影響の終焉を意味するものではありませんでした。アフリカ、アジア、ラテンアメリカ諸国の経験は、政治的独立後も、不平等な経済構造、安全保障上の依存関係、社会的な分断、歪曲された歴史叙述といった形で植民地主義が存続してきたことを物語っています。そのため、植民地主義の記憶は、旧植民地とヨーロッパの植民地大国、特にフランスとイギリスとの関係において、今なお最も神経を要する困難な問題の一つであり続けています。

この解釈において、アルジェリアの植民地主義は特別な位置付けにあります。1830年から1962年まで、フランスはアルジェリアを単なる植民地としてではなく、自国の領土の一部として統治していました。これは、領土併合、ヨーロッパ系住民の定住、そして先住民のアイデンティティの組織的排除に基づく計画でした。20世紀における脱植民地化の過程の中で最も暴力的な出来事の1つとして、150万人以上の犠牲者を出したアルジェリア独立戦争が挙げられます。この経験は、両国関係に深い傷を与える未解決の記憶を残しました。そうした中、現在アルジェリア議会で審議されている提案は、歴史上の曖昧さと沈黙を打破するための試みだと言えます。

アルジェリア国会議長は、この法案がフランス国民の敵視ではなく歴史の真実を伝えるために制定されたと主張しています。この文言は、件の法案の主な目的があくまでも植民地主義に起因する政治的、道義的、法的責任をフランス政府に負わせることにあることを示しています。また、植民地主義の賛美を犯罪として扱い、犯罪の公式認定を求め、謝罪を要求していることは、アルジェリアがもはや「漠然とした遺憾の意」や曖昧な表現でよしとしていないことを反映しています。この措置の重要性は、両国間の緊張関係が続く中で見た場合、さらに明白になります。アルジェリアの隣国モロッコ・西サハラ地域自治案への支持というフランスの立場は、同地域の自決権を支持するアルジェリアの立場と明らかに矛盾しています。

フランス政府のこの立場は、地政学的な対立が再び急速に植民地主義の記憶を紛争の中心に引き戻す可能性があることを改めて示しています。このような状況下では、過去は決して解決済みの事件ファイルではなく、今日の政治紛争における稼働中の手段となっているのです。より根本的なレベルで言えば、この紛争は、暗い過去への欧州諸国の対処方法における根深い二重基準を露呈しているということであり、その最たる例がドイツです。第2次世界大戦後、ドイツはホロコーストへの完全な責任を認め、賠償金を支払い、この暗い過去を自国の道義的・政治的アイデンティティの一部として扱うことで、失われた正統性の回復を試みました。ガザにおけるシオニストの犯罪に対し世界的な批判が高まる中でも、ドイツがシオニスト政権イスラエルを断固として支持しているのは、歴史に残るこうした対処に根ざしています。しかし、その同じヨーロッパ諸国政府は、アフリカ、アジア、中南米における植民地時代についてとなると、突如として「過去を乗り越え」、「未来を見据える」必要性を強調しているのです。

大量殺戮や強制的な飢餓から奴隷制、資源の略奪、文化の破壊に至るまで、植民地主義の構造的犯罪は、欧州の公式見解ではしばしば軽視され、些細な歴史的誤りとして扱われています。しかも、この矛盾ぶりは決して偶然ではなく、政治的・経済的な計算により生まれたものです。それは、植民地犯罪を全面的に容認すれば、訴訟、金銭的賠償、そして南北(第3世界とヨーロッパ)間の不平等な関係の見直しにつながりかねないからです。この観点から、アルジェリア議会における「フランスの植民地主義を犯罪として扱う」法案は、決してアルジェリアとフランスの二国間関係にとどまらない課題だと言えます。

この法案は、現代史におけるヨーロッパの公式見解に疑問を突き付け、人道に対する罪が被害者の地理的状況や身元に関係なく、また時の流れに左右されないという原則を強調するものです。ヨーロッパ諸国が歴史的責任受容を選択的・ダブルスタンダード的に定義する限り、植民地主義は南北関係における生傷であり続けると考えられます。この傷は、政治・外交的危機が発生するたびに再び表面化します。すなわち、今回アルジェリア議会で提起されているこの法案は、歴史的正義がなければ「過去を乗り越える」ことは、新たな装いを帯びた不正の継続に過ぎないということを明白に物語っているのです。

 

 


ラジオ日本語のソーシャルメディアもご覧ください。

Instagram Twitter