ロシア連邦保安庁、「日本は大戦時に細菌爆弾を計画」
(last modified Mon, 16 Aug 2021 11:11:24 GMT )
8月 16, 2021 20:11 Asia/Tokyo
  • ロシア連邦保安庁
    ロシア連邦保安庁

ロシア連邦保安庁が公開した文書によると、日本は第二次世界大戦中の1944年に細菌爆弾の使用を計画していました。

ロシアのスプートニク通信によりますと、この文書には、最後の関東軍司令官・山田乙三に対して1945年から1949年12月まで行った尋問の調書が含まれており、ハバロフスク裁判にも用いられました。今回、この尋問調書の初期のものが初めて公開されました。

文書によれば、この細菌爆弾を使うと敵陣でペストが発生するとされており、山田司令官に対する取り調べでは、1944年の秋に「石井式」の細菌爆弾の使用について山田に口頭で報告したという松村知勝の証言が読み上げられました。

それに対して山田司令官は、「私は松村の証言を否定しない(中略)先に示したように、この報告は私が承認した」と述べています。

この細菌爆弾は、関東軍の特殊部隊731部隊の隊長として、朝鮮人、中国人、ソ連人の捕虜を対象に生物学的実験を行った石井四郎中将にちなんで命名されました。歴史的な資料によると、石井は細菌兵器の可能性を最大限に発揮させるために、特殊な爆弾を発明しました。この爆弾の最大の特徴は、セラミック製の箱の中にペストに感染した蚤が入っていることで、地上50〜100メートルの高さで爆発するため、より広範囲が菌に汚染されることになります。

細菌兵器の開発と、生身の人間を含む実験は、関東軍の731部隊と100部隊が行いました。山田司令官をはじめとする日本人捕虜の尋問調書には、1944年に関東軍の指導部が細菌兵器の増産を指示したことが明記されており、細菌戦の準備が確実に進められていたことがわかります。

 

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