ペルシア湾のイラン領3島について
(last modified Wed, 28 Dec 2022 07:25:17 GMT )
12月 28, 2022 16:25 Asia/Tokyo

イランはペルシア湾沿岸で最も大きな国です。ペルシア湾はイラン南岸にあり、深さは平均35メートルあります。

ペルシア湾

 

ペルシア湾の最深部はホルモズ海峡近くで、その深さはおよそ100メートルほどあり、東のオマーン湾に向かって傾斜しています。幅は200~300キロメートルで、総面積は22万6000平方キロメートルです。

ペルシア湾上の島々は、沿岸の山脈の一部が海にまで及んだものと捉えることができます。標高の高い部分が海面から顔を出し、それより下は海底山脈の一部として水の中にあります。

ペルシア湾に浮かぶ大小の島々の数は、一般に知られているよりもずっと多いものです。軍事、経済、地政学的に重要とされるのはそのうちの一部に過ぎません。

 

アブームーサー島

 

イラン領の島々、特にペルシャ湾の湾口・ホルモズ海峡の入り口にあるホルモズ島、ヘンガーム島、ゲシュム島、ラーラク島、大トンブ島、アブームーサー島の島々は、戦略的に重要な位置にあります。

 

アブームーサー島

 

このうちアブームーサー島は、面積12平方キロメートル超、イランのペルシア湾沿岸バンダレ・レンゲから75キロの沖合にあります。最も高い地点は海抜110メートルにおよび、島内には淡水の地下水があり、年間降水量は100ミリ超です。

大トンブ島は、面積11平方キロメートル、バンダレ・レンゲから55.5キロの沖合にあります。最も高い地点は海抜53メートル、降水量はそれほど多くありませんが、50年前に淡水の井戸がいくつか掘削されました。

小トンブ島は、面積2平方キロメートル、バンダレ・レンゲから50キロの沖合にあります。島には飲料にできる淡水はなく、砂や岩場で覆われています。

 

ペルシア湾のイラン領3島

 

ペルシア湾沿岸諸国の間では、領土問題が存在します。その中でも、大トンブ島、小トンブ島、アブームーサー島のイラン領3島は、こうした論争の最大の焦点になる島です。

この3島は、各歴史文書から、古代からイスラム期を通じて、イランおよびペルシア湾北部沿岸の首長に属するものであったことが分かっています。イギリスは1891年、バーレーンに対して行った植民地支配と同じ手法で、アブームーサー島と他2島を占領し、イランの抗議を受けることになりました。そして最終的には、バンダレ・レンゲの首長がここにイラン国旗を掲げることになったのです。

 

大トンブ島

 

1898年、イギリスのジョージ・カーゾン印総督が、ペルシア湾地域の植民地支配も担当するようになってから、英艦隊がペルシア湾に展開するようになり、南岸地域を占領しました。これによりイラン領の島々にも英国旗が掲げられ、1904~1905年にかけてイラン国民や当時の国王モザッファロッディーン・シャーの強い反発を受けました。

 

小トンブ島

 

イラン暦1305年(西暦1926~1927年)になると、イラン側の外交努力により、この3島にイラン国旗が掲げられるようになりました。そして、イラン本土南岸のバンダル・アッバースやバンダレ・レンゲの首長らが3島を統治しました。それにもかかわらず、イギリスは事あるごとに3島に対する自らの統治権を、傀儡国家だったシャルジャ首長(現在のアラブ首長国連邦の一部)に示していました。

イギリスにそそのかされたシャルジャ首長は、アブームーサー島の一角に灯台のある停泊所を設置し、発電や土地の利用を行い、島の領有権を主張しました。これはイランの反発を買いましたが、このことはバーレーンのイランからの分離独立計画にまで及びました。最終的に1971年11月30日、アブームーサー島と大小トンブ島の領有権がイランにあることが確定しました。

それ以降も今日に至るまで、一部のペルシア湾岸首長国はアブームーサー島の領有権を主張し、ペルシア湾海域の管理における協力や友好促進のかわりに、世界の大国による陰謀に利用されています。

 

 


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