7月 11, 2016 15:33 Asia/Tokyo
  • イラン産手織りじゅうたんの商標登録

テヘランの南のサーヴェのざくろ、イラン南東部のバムのフレッシュデーツとともに、イラン各地の手織りじゅうたんが、国連の世界知的所有権機関に商標登録されました。

11世紀のペルシャ語叙事詩人フェルドゥースィーによる、『王書』によれば、イランでじゅうたん織りが始まったのはピーシュダーディー朝にさかのぼり、また、9世紀から10世紀のイスラム学者タバリーの年代記では、この時代において動物の毛で織られていたじゅうたんについて語られています。手織りじゅうたんという芸術の最も古い痕跡は、青銅器時代にまでさかのぼります。この痕跡はじゅうたん用の小刀で、これはイラン北部やトルクメニスタン付近の青銅器時代の墳墓から見つかっています。また、イラン南東部の古代遺跡シャフレスーフテでも、わら製のじゅうたんや布、織るための道具などが見つかっており、これは紀元前2800年のものだとされています。

最も古いイラン式じゅうたんは、アケメネス朝オリジナルの図柄によるもので、これはシベリア南部のパジリクで発見されました。このじゅうたんはパジリクじゅうたんと呼ばれています。研究者はこのじゅうたんをパルティア人、あるいはメディア人の手織りじゅうたんとしています。

パジリクじゅうたんのほか、現在のイラク北部で見つかった、サーサーン朝時代のグーメスのじゅうたんや、アナトリアじゅうたんと呼ばれるじゅうたんがあります。アルサケス朝パルティアの時代のじゅうたんも、中国の墳墓から出土されており、研究者によると、この材料はコーカサス地方から来ているということです。グーメスのじゅうたんや、現在のイラク、クテシフォンの宮殿に使われていたといわれるバハーレスターンのじゅうたんは、イラン人のもとでこの芸術が頂点に達していた時代を示すものなのです。

西暦では7世紀にあたるイスラム暦1世紀、イスラムの影響により、肖像画によるじゅうたんや、装飾的なじゅうたんが禁じられたことで、じゅうたんのデザインは変化しましたが、贅沢志向が広まったアッバース朝の時代、このようなじゅうたんの製作が再び盛んになりました。14世紀のイスラム世界の旅行者のイブン・バトゥータは、イルハン朝の君主ガザン・ハンの宮廷や、イラン北東部マシュハドのイマーム・レザー聖廟の高価で大きなじゅうたんに触れています。

サファヴィー朝時代は、イランのじゅうたんが頂点に達した時代で、その美しさは完成の域に達しました。アルダビールじゅうたんとして知られている歴史的なじゅうたんは、この時代に織られました。イスファハーンやそのほかの数都市では、じゅうたん工房が操業しており、それぞれの町などでは、独自のスタイルのじゅうたんが織られていました。その芸術性は今に残されています。サファヴィー朝時代、初めて遊牧民や村の部族のじゅうたんが都市に持ち込まれるようになりました。

現在、グローバル化に関して議論が行われ、その理論が提示されている中で、あらゆる芸術のその土地ならではの特徴やその純粋さが、価値判断の上で重要な基準とされています。じゅうたん織りに関しても、イランでは長い歴史を持っているものの、地域によってデザインや織り方が異なることは、大変重要視されています。このため、国際的にも、イランのじゅうたんは地理的に分けて提示されています。

専門家は、目で見て、触れたとき、すべての地域のじゅうたんを見分けられるような形でじゅうたんを知っています。専門家の一人は地理的、文化的、気候的条件により、それぞれの地域のじゅうたんに違いがあることを知っています。

このように、人間の生産物を知るには、作り手の生活環境や精神を知ることが必要です。たとえば、目の粗く、濃い目の暗い色彩で、幾何学的な模様であれば、荒々しい山岳地帯の自然環境で生活している人の作品であり、目が粗いのは、作り手が暖を取るためにこのじゅうたんを利用してほしいと考えていることによります。

また、じゅうたんのデザインに幾何学模様が使用されているのは、作り手が山岳地帯で生活していることによります。このように、じゅうたんがイランのどの地域の山岳地帯で織られたものかを理解することができ、さらにその産地を簡単に特定することができます。

また、郊外で織られたじゅうたんも、各州の中心都市で織られたじゅうたんとは完全に異なっています。それはこれらの地域の文化的な状況が、ほかの地域とは異なるからです。織りかたやデザイン、糸の違いは明らかなものですが、もし同じデザイン、同じ色のものを、4つの地域の地域の4人の職人に渡して織らせた場合、知識のある人にとって誰の作品かを特定するのは難しいことではなく、最終的に違いを生み出すのは、職人の手なのです。

もし、ひとつのじゅうたんを2人の優れた職人が織った場合、パイル糸を結んでいく中で力の加減が違ったり、バランスがとれなかったりします、そのため有識者はそれを見て、このじゅうたんが2人で織ったものだとわかり、これはじゅうたんとしては不良品だとみなします。

イランの14の地域の手織りじゅうたんが最近、世界知的所有権機関により、国際的に登録されました。西部のイーラーム州、ケルマーンシャー州のソンゴル、ケリヤーイー、北東部の北ホラーサーン州のクルド人居住区、中部のロレスターン州のじゅうたんの地理的特徴、北西部のサルドルードや、北東部ジャルギャラーンのトルキャマン族、ボジュヌールド、南東部スィースターン・バルーチェスターン州、中部のヴァラーミーン、チャハールマハール・バフティヤーリー州、南部ファールス州のガシュガーイー族、これらの地域や部族のデザイン、ファールス州のギャッペという厚手のじゅうたんや中部アルダカーン、北東部のゴヘスターンやビールジャンドのじゅうたんが、この国際機関により登録され、これらの芸術的な商品はリスボン協定の加盟国における登録と支援のために紹介されました。

地理的な商標とは、その生産物が国の特定の地域に関連づいているという証拠であり、その商品の質や名声、そのほかの特徴がその土地に関係している場合に認められます。これ以前にも、15のイランの手織りじゅうたんの産地が、この機関に登録されています。

イランの手織りじゅうたんの地域的な商標登録の手続きは、イランのじゅうたんのコピーや手織りじゅうたんの産地の名誉毀損を防ぐために行われました。これらの地域のブランド登録は、リスボン協定に基づき、国際法にのっとった専門家による手続きを経て認められました。世界知的所有権機関は、国連の専門機関のひとつで、1967年のストックホルム条約の締結により知的所有を保護する中で、創造性ある商品の奨励を目的として、設立されました。

イラン商工鉱業省のミールサーレヒー産業所有権担当総局長は、「イランの手織りじゅうたんとともに、サーヴェのざくろ、バムのフレッシュデーツの2つの重要な商品が世界知的所有権機関に商標登録された」と語り、「これらの戦略的商品はイランが2001年に締結したリスボン協定の国際法規に適合しており、商標登録された」と強調しました。

この商標登録の手続きは、通常7、8ヶ月かかります。この商品の登録懸案は、最初、この機関で検討され、その後、リスボン協定の加盟国すべてに委託され、加盟国がこの商品に関して主張や抗議などをしない場合、この機関の商標登録が発行されます。

世界知的所有権機関の本部は、スイス・ジュネーブに設置されており、加盟国は184カ国に上ります。

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