ノウルーズと生活様式(1)
(last modified Tue, 26 Mar 2019 17:30:00 GMT )
3月 27, 2019 02:30 Asia/Tokyo
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イスラム的な生活様式は、イランの文化と文明の最も重要な側面の1つです。

イラン人のイスラム的な生活様式の基本的な特徴は、人間と自分自身の関係、人間と神の関係、そして人々との関係であるといえます。イランの春の新年ノウルーズは、これらの3つの関係について新たな定義を示しています。

 

イラン暦1398年のノウルーズは、これまでの数千年と同様に、春の始まりを伴うものです。ノウルーズはこれまでの長い間、いつものように訪れ、イランの人々はこれを祝い、ノウルーズの到来を大切にしてきました。しかし、この祝祭は数千回繰り返されているものの、その華やかさを失うことはなく、この古い国民的な慣習は依然としてイラン人の間で維持されています。ノウルーズは、いつの時代においても全ての場所において、イラン人の生活の一部であり続けてきました。

ノウルーズの実施には、独特の方式があり、この祝祭におけるイラン人の慣行儀礼はほぼ統一されています。この習慣における人々の生活様式は、長年にわたりほぼ変化しないまま維持されており、ノウルーズの美しさもこうした変わらない生活様式に負うところが大きくなっています。これは、非常に包括的で完璧であるとともに人間的であり、極めて美しいことから模範となりうるものです。

 

今日、生活様式は特に社会学者をはじめとした様々な分野の学者が、研究の対象としている最も重要なテーマの1つです。生活様式は、ある個人や集団、文化が持つ趣向や見解、方向性や行動様式を指しています。生活様式という言葉は1929年、オーストリアの精神科医アルフレッド・アドラーによって初めて使われました。

一般の人々の音楽やテレビ、広告などは全て、生活様式の直接的、或いは間接的なイメージを作り出します。しかし、多くの人々が生活様式を自由に選択すべきだと考えている一方で、現代人の生活様式は主にメディアの影響を受けています。

生活様式とは、行動のあり方を表しています。例えば、人付き合いの仕方は、様々な場合における人々の相互の対応のあり方です。

ある都市や国の人々は、情にあふれている、もてなし好き、常識をわきまえている、活動的、集団行動に長けているなどの気質や国民性で知られているかもしれません。これらの特質は、複数の行動の集合体という形で現れ、一般的に生活上のある形態を生み出しています。これらの生活形態からは、ある集団の人々の性質が伺えます。

また、家庭的な行動様式では、家庭生活のあり方を決定しうる夫婦間の関係や夫婦と子どもの関係のあり方を説明することになります。このように、人間のある行動は様式とは見なされず、人間の行動の集合体ということになります。

 

文化は、様々な様式により連鎖的な影響を受けます。例えば、ガージャール朝時代からの過去150年間に、イラン社会にヨーロッパの文化が伝来した中で起こったのは、個人的、社会的な生活のあり方の全てにおける、生活様式面や文化面での変化でした。こうした変化は、ヨーロッパの文化や思想に基づく精神面、或いはモノの流入と共に始まり、その傾向はもはや押しとどめられることなく広まり、イランの文化的、文明的なものの全てに影響を与えました。

イラン社会に登場した最初のヨーロッパの産物は、自動車や工場、洋服でした。これらの産物は社会に流入するともに、人々の趣向を少しずつ変化させました。趣向が変化すると、方式がそのあり方を社会に強要し、この変化によって都市型の生活が定着し、モラルをも変化させました。

1979年のイラン・イスラム革命の勃発は事実上、ヨーロッパ文化という嵐に抵抗し、イスラム的な生活様式への回帰を求める、イラン国民の意思を具現したものでした。もっとも、時にはイランのイスラム的な生活様式に立ち返ることは、過去に逆戻りすることに等しい、と想定されるかもしれません。しかし、ここで大切なことに触れておく必要があります。それは、生活様式とは、ある生活の価値観や理念などを明確な枠組みで示す一連の行動を形成するものだということです。生活様式は、ある一定の規則性を持ち、その全てがある民族や国民の文明や歴史と密接につながっています。しかし、こうした過去とのつながりは、必ずしも過去を追求するものではありません。

ノウルーズは、単に新年の始まりにおけるイラン人の祝祭の名称ではありません。この慣習は、変化を尊ぶ儀礼であり、イランの人々は年が切り替わる時に、自分の状態を最高にするよう神に願います。もっとも、この願いは、特定の個人のものではなく、自分の近親者や同国人、もっと広い意味で言えば、人類や世界に関するものだといえます。

既に知られているように、世界におけるあらゆる変化は人為的なものであり、全ての変化は人間の意志により行われています。もし、自らの住む社会や国、さらには自分の生活を変化させたいなら、まず自分が変化することから始めなければなりません。モラルや心の内面での変化は、人間性、そして神への服従に向かう行為であり、幸せにつながるものです。

このように、ノウルーズは自然界に変化が起こりうると同様に、人間も変化できるということを、私たちに示しているのです。変化は、ノウルーズの基本概念であり、ノウルーズ期間中の生活様式はその人の精神的な変化となりえます。ノウルーズにおける人間の変化は、内的な側面と外的な側面の2つの領域に渡るものです。

 

イラン人の生活様式においては、人々はノウルーズを迎える前にこの変化の儀式に向けた準儀を整えます。まず、前の年に自分が行ったことの清算を行い、このときに前の年におけるプライベート、そして公的な自分の言動や状態を吟味します。これは、自分の過去を振り返り、やり残したことをはっきりさせて、それを埋め合わせるよいチャンスでもあります。

イラン人の生活様式における変化の例として、怨恨を捨て去って他人との関係を築くことが挙げられます。イランの文化におけるノウルーズは、一部の人々が他人との間に抱えているわだかまりを解消する適切な機会とされています。普通誰も、友人や近親者、親類を訪問したり、或いは遠くからでも連絡して安否を尋ねるこのチャンスを、あえて見逃すことはありません。もっとも、このことは最終的にそれを行った人の精神状態の改善や安らぎにもつながり、そして何よりもその人の内面における変革の助けとなります。

もちろん内的な変化のみならず、外的な変化も極めて重要であると言っても過言ではありません。ノウルーズにおけるイラン人の生活様式においては、最も重要な指標として服を取り替えることや、新年を迎えるに当たって新しい服を購入することが挙げられます。

しかし、ノウルーズの慣習において、このように外見に注目することは、決して贅沢趣向や浪費とは関係がなく、既にお話したように、あくまでもノウルーズの重要性によるものです。これは、イラン人の信条において、外部からの来客が大切に扱われるべきだとされていることと同様です。

 

これまでにお話したように、ノウルーズにおける生活様式は、独特のものです。この日には誰もが、新しく生まれ変わらなければならない世界を目の当たりにします。即ち、自分の外面と内面の両方を美しくべきなのです。

 

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