9月 10, 2019 04:31 Asia/Tokyo
  • アーシュラー、永遠の英雄伝
    アーシュラー、永遠の英雄伝

カルバラは、現在のイラク南部にあります。おそらく、イスラムの歴史において、地理と時間の点から、カルバラの出来事ほど規模の大きな革命は存在していません。この出来事の中で、シーア派3代目イマーム・ホサインの教友72人は、3万の軍勢と戦う中で、殉教しました。

この出来事は、イスラム史において最大の、最も驚くべき、影響力のある出来事のひとつです。この小さな地域において、人間の人生におけるすべての義務や、美徳や偉大さが示されたのです。

アーシュラーの日、歴史上もっとも偉大な出来事が起きました。未明に、イマーム・ホサインは、朝の礼拝の後、32名の騎兵、40名の歩兵からなる自身の軍を右翼、左翼、中央の3つに分けました。

 

イマーム・ホサインは両翼の中部に、小数の歩兵を配置し、軍旗を兄弟のアッバースに委ねました。一方で、敵軍の司令官、ウマル・イブン・サアドも軍をいくつかに分けました。2つの軍が対峙し、運命的な戦いの始まりを待っていました。

イマーム・ホサインは、戦いとイスラム教徒の殺害を避けるため、多くの努力を行っていました。戦争を防ぐあらゆる方法をとろうとしました。しかし、敵は、自分たちの数的優勢を誇っていたため、正しくまっすぐな道を歩まず、提案に対しても肯定的、建設的な回答を示すことはありませんでした。

イマーム・ホサインはアーシュラーの日も、一部の教友を敵のもとに遣わして、彼らと話し合い、真実を語り、彼らに恥や罪となることをやめさせようとしました。イマーム・ホサインは、何度も、敵軍への忠告や提言のために、彼らに対して冷静さを保ち、流血を避けるよう呼びかけていましたが、イマーム・ホサインによれば、彼らは罪により、真実を理解するがことなく、迷いに陥ったままで、開戦することにこだわっていました。

 

ウマル・イブン・サアドは、イマーム・ホサインの軍勢に向けて矢を射ることで、正式に戦争を始め、兵士たちに侵攻を勧めていました。その少し後、両軍は互いに近づき、武器を持って、戦いに臨みました。

この戦いで歴史上驚くべき事柄が発生しました。この戦いは数万人に対する100人に満たない兵士の戦いであり、その100人の中には、少年や老人も混じっていました。しかし、このわずかな軍勢は、あらゆる場面で勇気と信仰を示し、宗教的、政治的なな原則により、敵に屈することはありませんでした。

 

イマーム・ホサインの教友たちは、“預言者ムハンマドの教友は神を信じないものには厳しく、互いに対しては優しい”という、神の言葉にそっくり当てはまる人々でした。カルバラにおいて、イマーム・ホサインの教友の心は、神とイマームに対する愛に満ち溢れていました。このため、この耐え難い状況の中で、彼らの誠実さと抵抗は世界の歴史の中でも他に類を見ないものです。ドイツの哲学者マルビンは、研究の中で、このことを認め、イマーム・ホサインについて次のように語っています。

「歴史の中で、未来に宗教を広めるために命を投げ出した人物は、イマーム・ホサインをおいて他には存在しない」

アーシュラー、永遠の英雄伝

イマームホサインの教友たちは、誇り高く殉教をとげ、勇気を捨てることなく敵を窮地に追い込みました。はじめから、敵は、イマーム・ホセインの小さな軍勢は、一斉攻撃を始めればすぐに消滅し、簡単にけりがつくと考えていました。しかし、この小さな軍勢と戦った後、信仰による堅固な山が立ちはだかっており、彼らを滅ぼすのは簡単なことではないと理解しました、イマーム・ホサインの教友たちはアーシュラーの日の未明から夕方まで、最後の血の一滴がなくなるまで戦いを続けたのです。

敵は戦場で戦果を上げることができず、次第に個々の戦いに入っていきました。確かに、ウマル・イブン・サアドの軍は、イマーム・ホサインとの戦いに赴いたのですが、預言者の孫であるイマームホサインと戦うことを良しとせず、仕方なくウマル・イブン・サアドにしたがっている兵士がほとんどでした。このため、戦いをためらい、ウマル・イブン・サアドが穢れた目的を果たすことの妨げになっていました。

個々の戦いという状況は、イマーム・ホサインの小さな軍勢にとっては好都合でした。このため、イマーム・ホサインの教友たちは、士気の低い敵の兵士と戦い、敵を消極的な状況に追い込むことができました。また、このために、戦いが長期化したのでした。

アーシュラー、永遠の英雄伝

 

イマーム・ホサインの教友たちは、皆、イマームを守るという動機と、固い信仰をもち、戦いに参加する許可をイマームから得ており、戦いのあとは、栄誉を持って殉教することになりました。

アーシュラーの日、イマーム・ホサインの教友は、愛と献身をもって、かつてない戦いに望みました。みな、競って戦場に出ました。彼らの一人が戦場に出ると、敵はその信仰心により後退しました。イマームの教友は、勇気を奮ってイマーム・ホサインを守りました。

ついには、イマーム・ホサインも戦場に出ました。人々を無知や偽りから解放するために必要なことは、すべてやり遂げました。イマーム・ホサインが勇敢に戦ったのは、イスラム共同体の宗教を正す、ただそれだけのためでした。しかし、敵の目は欲にくらみ、真理が見えなくなっていました。

次第に日は落ちていき、夕方になり、ついにイマーム・ホサインの清らかな血がカルバラの地を染める悲劇が起こりました。イマームの首が、敵の手に渡ったのです。

 

イマーム・ホサインの蜂起は、人間としての尊厳やイスラムを守る人に、目覚めを呼び起こしました。この蜂起は、道徳的、人間的価値にあふれていました。このため、このカルバラの出来事から数世紀が経過しても、その献身と英雄伝の記憶は歴史の中で、永遠に輝いているのです。

真理と正義を守る中での、アーシュラーにおけるイマーム・ホサインの殉教は、歴史に残る愛を生み出し、イスラム教徒に対して、この偉大な英雄伝をたたえるよう勧めているのです。

 

アーシュラーは、イスラム教徒の統一と連帯の源です。

この日、イスラム教徒は、真理を求め、圧制に抵抗するスローガンを唱えるのです。

  イマーム・ホサイン聖廟

 

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