3月 28, 2020 00:00 Asia/Tokyo
  • シーア派3代目イマーム・ホサインの生誕日に寄せて
    シーア派3代目イマーム・ホサインの生誕日に寄せて

西暦626年1月11日に当たるイスラム暦4年シャアバーン月3日、メディナでイスラムの預言者ムハンマドの一族に、1人の男の子が授けられました。この男の子こそは、後のシーア派3代目イマーム・ホサインだったのです。今回は、この偉人の生誕日に因み、この偉人の位置づけと美徳についてお話することにいたしましょう。

イマーム・ホサインは、シーア派初代イマーム・アリーと、預言者ムハンマドの娘ファーティマの息子でした。祖父である預言者ムハンマドは、ホサインを非常に愛し、彼を抱きしめ、彼を見ては喜びをかみしめていました。

幼いホサインは、偉大なる預言者のよき思い出と共に、少年時代を過ごしました。時には、預言者ムハンマドホサインを肩車し、また時にはホサインの手をとり、あちらこちらに連れて行ったものでした。全ての人々が、預言者ムハンマドにホサインが接吻される光景を目にしていました。預言者ムハンマドは、子どもにも分かる言葉でホサインに話しかけ、ホサインにこの上ない愛情を注ぎました。預言者ムハンマドが、イマームホサインに振り注いだ愛情は、単なる血縁的なものや親族関係によるものではなく、神の思し召しによる特別なものでした。

既に知られている通り、預言者ムハンマドは、他の一般人とは違う偉人とされています。コーラン第53章、アン・ナジュム章「星」、第3節と4節に明示されているように、預言者ムハンマドの言動は、個人的な欲求や色欲によるものではありませんでした。このため、神はコーラン第33章、アル・アハザーブ章「連盟」、第21節において次のように述べています。

"誠に、神の使徒ムハンマドの言動は、信仰心ある者にとっての立派な模範となるに相応しい"

 

一方で、預言者ムハンマドには娘が沢山おり、息子もいましたが、彼がこれほどの愛情をかけたのは、イマーム・ホサインとその兄弟である、シーア派2代目イマーム・ハサンのみだったのです。幾つかの伝承においては、次のように述べられています。

「ある人々の集団が、預言者ムハンマドと共に宴の席に招かれた。預言者ムハンマドが、人々の先頭に立って歩いていたところ、途中でイマーム・ホサインを見かけた。彼は、ホサインを抱きしめようとしたが、ホサインはあちらこちらへと走り回った。預言者ムハンマドは、この光景に思わず微笑み、ホサインを追いかけて遂に彼を抱きしめ、接吻した。そして、この時、人々に向かって預言者ムハンマドは次のように告げた。『皆さん、よくお聞きください。ホサインは私の分身であり、私もホサインの一部である。ホサインを愛する人は、神にも愛される』」

 

イマーム・ホサインは、あらゆる点で卓越した人格を有していました。彼は、人間としての完成度や美徳の全てにおいて、さらには神への崇拝行為においても最も優れていました。イマーム・ホサインは、特別な宗教的行為や崇拝行為を有していましたが、それは、彼の光と存在が母親であるファーティマの生命から生まれてきたからです。彼がウマイヤ朝の無知という槍によって殉教を遂げ、体から切り離された頭部が槍の先に突き刺し上げられたときまで、彼はいつでも、そしてあらゆる場所において神への賞賛と神による浄化にいそしみ、聖典を朗誦するイマーム・ホサインの声が所々に聞こえていました。

イマーム・ホサインの特徴の1つに、何者にも隷属しない自由人であること、圧制の排斥、暴虐を受け入れないことが挙げられます。彼は、暴虐や圧制とは決して折り合わない英雄であったのみならず、自由を求め、暴虐を排斥し、正義の道を進む戦士が全て、他者に隷属しない自由の英雄として従うべき、模範的な指導者だったのです。彼は、恐怖感を与え偽りの宗教が支配する、残忍極まりないウマイヤ朝の攻撃を受けた危機的な時期や、圧制者との妥協か、或いはこれと対決して歴史に残る名誉の殉教を遂げるかのいずれかを迫られたとき、敢然として、ホサインである自分は決して暴虐に屈しないという意思表示をしています。そして、彼は自由をもたらし、圧政に立ち向かうこの永久的な精神を全ての人々に思い起こさせ、次のように述べています。「創造主なる神に誓って、私は決して侵略者に忠誠を誓うことはなく、また隷属者のように聖なる戦いの場から逃げることもない」

 

イマーム・ホサインは、その生涯において人々の人格に非常に敬意を払っていました。彼は、貧しい人々が劣等感を感じ、その人格が傷つけられることに苦悶し、恥辱を感じていたのみならず、他人を教え導くときですらも恥じらいを覚えていました。これについて、次のような言い伝えがあります。

ある時、イマーム・ホサインはある男性が正しい方法で礼拝前の沐浴ができずにいるところを目にし、この男性に沐浴の仕方を教える必要があると感じました。ホサインは、その男性に沐浴の仕方を教えようとしましたが、いざ教える段になってしり込みしてしまうと感じました。そこで、巧みで相手に受け入れられる方法を考えつき、自分の兄弟であるシーア派2代目イマーム・ハサンのところに赴き、次のことを要請しました。それは、その年老いた男性の前で、自分とイマーム・ハサンの2人が沐浴の競争をし、どちらがより正しい方法で沐浴をしているかをその男性に判断させ、遠まわしな方法で沐浴の方法を教えようというものです。2人がこの方法を行なったとき、その男性は自分の過ちに気づき、正しい沐浴の仕方を覚えたと同時に、すっかり感心して次のように述べました。

「あなた方は、正しい沐浴の仕方を教えてくれました。自分の責務に気づかなかったのは、この私であり、あなた方はこのように丁寧で寛大に、私に教えてくださいました」

イマーム・ホサインは、人々の権利擁護を非常に重視していました。これについて次のような伝承があります。

あるとき、アブドッラフマーンという名前の男性が、自分の子どもの1人にコーラン第1章、アル・ファーティハ章「開端」を教えました。イマーム・ホサインは、この文化的な仕事の報酬として、この男性にいくらかの金銭と、100枚の衣服、そして山ほどの金銀財宝や装飾品、生活に必要な道具を与えました。そして、子どもにコーランを教えたことの価値をこれほどまでに評価し、沢山の報酬を授け、他人に教えることの精神的な価値を高く評価したことに驚いているこの男性に対し、次のように述べたのです。

「これらの金品は、あなたの行動の価値や偉大さに比べれば、取るに足らないものである」

 

イマーム・ホサインのもう1つの特徴として、数々の困難や悲しみといった波乱万丈の人生を歩んでいる人や、困難に陥っている人々に人間性溢れる博愛主義的な愛情を注いだことが挙げられます。これについて、次のような伝承があります。

イマーム・ホサインは、預言者ムハンマドの養子であるウサマ・イブン・ザイドのお見舞いのため、イブン・ザイドの自宅を訪問しました。イブン・ザイドの青白く動揺した顔を見て、イマーム・ホサインは彼にその理由を尋ねました。イブン・ザイドは悲しみのあまり深くため息をつき、自分の心の中の悲しみを打ち明け、次のように語ったのです。

「私には他人の権利が掛かっており、言わば他人に借りがある状態です。私は、自分が生きている間に私が預かっているものを持ち主に返し、借りのない状態でこの世を去りたいのです」これを聞いて、イマーム・ホサインはすぐさまイブン・ザイドの借金を返済させました。この時、イブン・ザイドは胸をなでおろし、永久の眠りについたのでした。

イマーム・ホサインのもう1つの倫理的な特質には、知人や見知らぬ人に対して、陰に陽に施しをしていたことが挙げられます。彼は、夜毎に貧しい人や恵まれない人々、親を亡くした子どもたちの生活に必要な品物や食物を背負い、彼らの家の入り口に持って行きました。このため、イラクのカルバラーの地で殉教を遂げた際には、イマーム・ホサインの体の至るところに重い荷物を運んだ跡が残っているのが明らかになりました。

シーア派4代目イマーム・サッジャードは後に、その理由を尋ねられたとき、次のように語っています。「これらの跡は、私の偉大なる父であるホサインが毎晩重い荷物を担ぎ、孤児や恵まれない人々にそれらを届けた証である」 また、イマーム・ホサインの教友の1人は、これについて次のように述べています。「ホサインは、毎晩、恵まれない人々が必要とする品物や、人目を避けて施しの品物を担いでいた。その多くの品物を乗せていたホサインの両肩や背中は、イスラム暦モハッラム月の10日のアーシュラーの日に、暴君の暴虐により崩れ落ちた」

 

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