家庭における夫の責務
前回は、家庭における夫の責務の1つとして、生活費の負担についてお話しました。また、結婚の際に決定される婚資金も、女性に所有権があることから、今回はまず、この婚資金についてお話することにいたしましょう。
法律では、この婚資金は婚姻の際に夫が妻に払うことを義務付けられる金銭とされています。イランの民法では、この婚資金の所有者は妻とされ、結婚と同時にこれをあらゆる方法で利用できる権利が生じます。さらに、イランの法体系では、婚姻契約を取り交わした後、まだ夫婦関係を持つ前に夫が妻を離婚する場合には、妻は婚資金の半分を受け取る権利があるとされています。
イスラムの伝承やコーランの節でも、この婚資金について述べられ、その支払いが強調されており、これに関する妻への圧力や虐待は禁じられています。神はコーラン第4章、アン・ニサーア省「婦人」、第4節において次のように述べています。
“そして、婚姻に当たっては、満足する形で婚資金を与えなさい。もし、彼女らが自ら進んでその一部を免ずるなら、それはあなたにとって違法ではなく、心置きなくこれを受け取るがよい。
さらに、シーア派6代目イマーム・サーデグの伝承には、次のように述べられています。“婚資金の支払いを拒むことは、最も汚らわしい罪とされている”
妻に対する夫のもう1つの重要な義務は、入籍です。家族を守り、責任逃れ、また悪用を阻止するため、正式な入籍や離婚などの登録は義務です。イスラムの刑罰法では、男性が正式な入籍、離婚、あるいは復縁の登記を行わない場合、最大で1年の禁固刑に処せられます。但し、この刑は裁判官の裁量に任されており、また罰金の支払いにより執行が免除されることもあります。
いうまでもなく、立法権はこの法案の可決に当たって、家族を守ること、そしてあらゆる種類の悪用の阻止を視野に入れています。それは、嫡子の存在、遺産相続、生活費、婚資金、夫婦関係の合法性、さらに離婚は正式な婚姻証明に基づいており、これらの事柄は婚姻証明書の存在により可能となるからです。同時に、家庭内のトラブルにまつわるいずれの訴訟も、婚姻証明書なしには受理されません。
一部の義務は、夫婦の合意により互いの責任となり、その例として婚姻前に条件を定めることが挙げられます。これらの条件は、婚姻契約を結ぶ際に夫婦の合意により、婚姻契約書の条文に記載されます。イランの民法では、この条件において妻は婚姻の際に、正当な条件を設定し、夫に対してこれを行使することが可能とされています。
普通、婚姻による法的な効力を決定し、万全を期すために婚姻前に設定する保証条件としては、住居の選択権、子供の養育権、自宅外での就労の権利、旅行する権利、勉学の継続、離婚請求の権利などが挙げられます。例えば、夫は結婚後、妻の勉学の継続や旅行、自宅外での就労を許可する、あるいは妻に離婚請求の権利を与える、といった具合です。婚姻前にこうした保証条件を設定することには、次のようなメリットがあります。それは離婚の際にこれらの条件が夫の立会いがなくとも裁判所で審理されるということです。その理由は、婚姻契約を交わす前に、これらの事柄がすでに夫から妻に委任され、その旨が婚姻契約書に記載されているからです。
責任を引き受けるに当たっては、夫婦として一般的に提起される事柄(生活費の負担など)以上に、夫婦関係を強化して家庭内に好ましい雰囲気を作ることが強調されています。そうした夫婦共同の精神的な責務のようなものとして、互いに対するよい振る舞いが挙げられます。民法では、夫婦は互いに親切に振舞う義務があるとされています。夫が感じのよい振る舞いを心がけるために、家庭内における色々な事柄を守る必要があることは言うまでもなく、これは夫の義務とされています。このことは、コーラン第4章、アン・ニサーア章「婦人」、第19節において、次のように述べられています。“あなたの配偶者に、親切に穏やかに接しなさい”
よい振る舞いに必要な事柄は何かについて、正確に定義することは不可能です。それは、よい振る舞いに関しては、それぞれの文化・社会的な慣習によって特別な概念が存在するからです。ですが、社会的な視点から侮辱行為とされるような行い、たとえば暴言を吐く、殴打する、口論、相手を貶めるといった行為はすべて、家庭への愛情や夫婦間の愛情に求められる事柄に反しています。また、そうした行動には家出、配偶者を無視することなども含まれます。さらに、よい振る舞いには、親近感あふれる愛想のよい接し方、口論や侮蔑を避けることが挙げられます。
感じのよい振る舞いの1つの例は、夫が妻に対し優しさを示すことです。こうした行動が大きな効果をもたらすことから、イスラムでは預言者やその一門たちにより、妻への愛着を示すことが奨励されています。イスラムの預言者ムハンマドは、配偶者に愛情を示すことを、神への信仰心の証であるとし、次のように述べています。“人間の信仰心の完成度が高まるほど、配偶者に対する愛情表現も多くなる”
イランの著名なイスラム思想家のモタッハリー師は、妻に対する愛情を示すことの必要性を説く中で、次のように述べています。「夫は、山のような存在である。妻は泉のような存在、また子供たちは咲き乱れる花々や植物のような存在である。泉は、山々に降り注ぐ雨を吸収し、これを清らかな水として沸き立たせ、花や緑にみずみずしさと喜びを与えなければならない。重要な柱が山に降り注ぐ雨であると同様に、家庭の柱は妻に対する夫の愛情や感情であり、この愛情のもとで妻と子供、そして生活が輝かしく心地よい、喜びあふれたものとなる」