11月 16, 2016 21:53 Asia/Tokyo
  • じゅうたん
    じゅうたん

今回はイランのじゅうたんについてご紹介しましょう。

じゅうたん産業は、イラン人の民族的な文化を具現するものであり、芸術、独創性、集団の努力の融合です。じゅうたんは歴史を通して、イランの文化と芸術を代表してきました。

「イランの手織りじゅうたん百科」という本を記したホセイン・タジャッドド博士は、この本の序章で次のように記しています。

 

「昔から、イランは世界の人々に、じゅうたんと詩の2つによって知られていた。言い換えれば、イラン人の熱情と美学は、詩の内容とじゅうたんのデザインや質の中にあらわされてきた。それにも拘わらず、じゅうたん芸術が詩よりも優れているのは、詩が個人的な芸術であるのに対し、手織りじゅうたんは集団の芸術である点にある」

 

じゅうたん

 

ペルシャ語でじゅうたんと言えば、一般には、さまざまな色の羊毛や絹糸を使って織られた敷物を指します。じゅうたん産業は、イランの非常に古い産業のひとつで、歴史を通して美しさや技術を発展させてきました。

 

多くの旅行家や歴史家が、アーザルバイジャーン、ファールス、フーゼスターン、イスファハーンなど、イラン各地のじゅうたん工房の存在について触れています。ギリシャの歴史家、クセノポンは、「キュロス伝」という著書の中で、イラン人は寝床を柔らかくするためにじゅうたんを広げていたとしています。

 

このような記述は、じゅうたんがイラン人の日常生活に根付いていたことを明らかにしています。じゅうたんは、人々の生活にとって欠かせないものでした。手織りじゅうたんのないイラン人の家は、魂や愛情のない家と言われ、これは、国民とその土地の文化や芸術との結びつきを示しています。

じゅうたん

 

 

1枚のじゅうたんを仕上げ、それを長く持たせるためには、糸の色を染める職人、じゅうたんをデザインする人、図面を作る人、じゅうたんを織る人、修理する人など、多くの人が関わっています。

 

歴史的な観点から、最初にじゅうたんが織られた時代や場所、民族や国民については明らかになっていません。じゅうたん織りの起源は、植物の繊維や木の皮を使ったかご作りでした。後に、動物の皮や毛を使って、それほど柔らかくない敷物が織られるようになりました。羊などの動物が飼育されるようになると、けばのあるじゅうたんが織られるようになりました。

 

歴史によれば、最初のじゅうたんの技術は女性たちによって編み出されました。昔から、じゅうたん職人の多くは女性でした。彼女たちは、じゅうたんだけでなく、飼育用の動物の上にかける布や物を運ぶための袋も編んでいました。

 

 

イランの最古の手織りじゅうたんは、パジリクじゅうたんです。このじゅうたんは、1949年、ロシアの考古学者、ルーデンコによって、南シベリア・アルタイ山脈にあるパジリク古墳のサカ族の王墓から発見されました。パジリクじゅうたんは、さまざまな色の羊毛で織られたじゅうたんです。そのデザインには、馬に乗った人々、草を食む鹿、頭部がワシで身体がライオンの伝説上の動物が見られ、花の模様で縁取りされています。

 

有識者によれば、パジリクじゅうたんで使われている芸術は、少なくとも何百年という、じゅうたん織りに関する豊かな文化的、芸術的な支えがあるということです。またそれは、パジリクじゅうたんが織られる何百年も前から、じゅうたん織りがイラン高原で広まっていたこと、イランの人々がその技術を持っていたことを示しています。

 

パジリクじゅうたんは、2400年間、シベリアの凍土に眠っていたため、ほぼ原型をとどめたまま、発見されました。

 

ロシアの考古学者、ルーデンコは、1953年のこのじゅうたんの発見に関する書物を出版しました。ルーデンコはこの中で、赤、青、緑、黄、オレンジなど、さまざまな色や模様など、パジリクじゅうたんの特徴を説明すると共に、「このじゅうたんはイラン人のものだ」としています。彼は、パジリクじゅうたんの模様と、アケメネス朝時代の古代遺跡、ペルセポリスに見られる模様が似ていることに注目し、パジリクじゅうたんは、同じ時代に織られたものだとしています。

 

一部の有識者は、パジリクじゅうたんの模様から、それをパルティア人の芸術家による作品だとしています。彼らによれば、パルティア人はパジリクに近く、乗馬に長けていることで知られ、馬に乗った男性が被っている帽子の種類やパルティア北部の平原に鹿がいたことも、その説を強めています。現在、パジリクじゅうたんは、ロシア・サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館に保管されています。

パジリクじゅうたん

 

エルミタージュ美術館の他にも、世界各地の美術館に、イランの貴重なじゅうたんが保管、展示されています。アルデビールじゅうたんは、現在、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館に収蔵されています。このじゅうたんは、イギリスの新聞サンデータイムズによって、世界の優れた芸術作品50点の中のひとつに選ばれています。

 

アルデビールじゅうたんは、デザインや折り目の点で、イランや世界で最も重要なじゅうたんと見なされ、1539年に織られています。このじゅうたんは、模様が美しく、独自の芸術作品となっており、サファヴィー朝時代の神秘主義者の思想や芸術を象徴するものとなっています。

 

チェルシーじゅうたんも、イランの著名なじゅうたんです。このイラン製じゅうたんは、ロンドンのチェルシーの商人によって購入されたため、この名前で呼ばれています。このじゅうたんには、鹿、ライオン、ヒョウ、その他伝説上の竜などの動物が、木や植物の間に描かれています。

じゅうたん

 

ウィーンの美術館にも、サファヴィー朝時代の、世界で最も貴重とされるじゅうたんの一枚が保管されています。このじゅうたんは、「狩猟模様じゅうたん」と呼ばれ、絹でできています。狩猟模様じゅうたんは、1571年から1629年のアッバース1世の時代に織られたもので、このイランの王の狩猟の様子が描かれています。

 

 

ニューヨークのメトロポリタン美術館にも、ポロネーズじゅうたんと呼ばれるイラン製の貴重なじゅうたんが保管されています。ポロネーズじゅうたんは、サファヴィー朝時代に織られたものです。

アルデビールじゅうたん

 

ポーランドじゅうたんとも呼ばれるポロネーズじゅうたんは、金や銀の絹糸で織られています。このじゅうたんは、独特の色や構成になっていて、花や植物が主なデザインとなっています。

 

このじゅうたんが、ポロネーズ、あるいはポーランドと呼ばれているのは、1878年に初めて、パリ世界博覧会で、ポーランドのザアルトリスキー王子によって展示された品の中にあったためです。そのため、このじゅうたんは、ポーランドじゅうたんと呼ばれるようになりました。しかし後に、1930年、このじゅうたんがポーランド製であるとする説に疑問が提示され、そのデザインから、18世紀以前のものだとされました。その後の調査により、最終的に、このじゅうたんはイラン製で、17世紀のものだということが証明されました。

 

現在、イランの多くの地域で貴重なじゅうたんが織られています。次回は、それらについてご紹介してまいりましょう。

 

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