1月 23, 2017 16:40 Asia/Tokyo
  • イランの大衆文化における女性、母親の地位

今回は、イランの大衆文化における女性、母親の地位についてお話してまいりましょう。

母とは、太初の暗闇において、全ての人間に与えられたダイヤモンドのような存在です。神の愛情は、国境を越えて、あらゆる階層や文化的な違いから離れて、同じように与えられるものです。母の存在は神の一部です。

あらゆる民族の口承文学や大衆物語は、彼らの信条や価値観、行動、希望などを表すものです。人間の言動や思想が彼らの個人的な精神や特徴を示すものと見なされているように、人々の信条や価値観、行動を検討することは大衆文化を私たちに知らせてくれるものです。

多くの社会の文化は、正式な慣習や文学を含む一方で、大衆の慣習や文学をも含みます。現代世界において、過去に流通していた格言や伝説、歌を調査し検討することで、先人たちの思想や考え方を理解することができます。実際、あらゆる民族の内なる声は、彼らの精神や思想を反映するものです。

イランの文学の歴史において、女性に関する様々な言葉や文章表現が多く見られます13世紀のペルシア詩人サアディの「ブースターン」などの作品から、彼が女性の高い地位を認め、それを尊重していた詩人の一人であったことがわかります。教育問題においては女性の役割をこのように語っています。

 

よき女性とは従順で敬虔

貧しい男性を国王に変える

 

女性詩人のパルヴィーン・エッテサーミーもまた、女性の性質、とくに男性が成功に至る上での女性の役割を賞賛する詩を歌っています。

 

 どんな書物にも記されていない

 男の天命が完璧で

 女の天命が不完全であると

 

 女性は元始、創造世界の礎であった

 その家を礎なしで築いた

 

 母のゆりかごで育ったルクマーン

 英知を授けられ賢者となった

 

 母の恩恵で勇者、神秘主義者、修行者、学者にもなる

 

 賢者よ、女の義務、男の義務が何であるか、知っているか

 女の義務は船であること、男の義務は船のかじを取ること

 

ここからは口承文学や格言などの大衆文学についてお話しましょう。

大衆文学の主要部分を占め、昔から、口承文学を通じて記述文学の中にも現れてきた格言は、裾野も広いものとなっています。格言は名も知られていない人々の頭の中から紡ぎだされた最も古い言葉であり、長い歴史の遺産です。これにより碑文などのように、言うまでもない明白な信用性を有しています。人々が読んだり書いたりすることを知らなかった時代、様々な出来事を受けて、それらについての思想が一文、あるいは表現の中に挿入され、楽に覚えることができるよう、人々から人々へと、世代や時代を超えて語り継がれるようになりました。

このことから、格言は民族の思想や信条を凝縮したものと考えられ、思想や信条もまた社会状況の影響を受けています。人類学者の考えでは、格言は他の大衆文学よりも完全なもので、民族や社会の性質を投影するものです。このため、イラン社会の文化的な指標の一つとして、格言を引用することは、我々の最も確実で確固とした研究の基盤となりえるでしょう。それぞれの文や格言はイランの人々の一時代の、社会、政治情勢を表すものです。

女性は有史以前、木や石、月や山などが偉大なる母のシンボルにされ、崇められてきました。他の民族の宗教や文学、文化の多くの作品の中で、人間をその中で見守っているという意味で、町や寺院は女性や母の象徴となっています。古い時代の人々の文化でも、女性は清らかさや神聖さの表れ、賞賛の対象であり、月、大地、水、森林といったものが人間の中に賞賛の気持ちを起こす一方で、生命の大いなる母の象徴となっています。

社会が神話の時代に入る前に、人間は、最初の大いなる母の像を、様々なシンボルを助けに描いていました。この時代の大いなる母のシンボリックな役割は、愛や憎悪などを伴う、女神や妖精の形で具現されました。しかしながら、神話に向かって社会が様々な文化的変化を遂げたときから、この大いなる母は人々の頭の中で分裂し、それぞれのシンボリックな断片となりました。恐怖、悪、憎悪、報復、怒りといったものは魔女や魔王の娘として、また愛、美、平和といったものの象徴は、文学において力強く献身的な女性として描かれています。

大いなる母の存在は、詩人や学者の作品の中で歌われていたり、口承文学や格言の中で見られます。一部の格言において女性に対するマイナスの表現が存在する一方で、母の愛は、イランの文化や文学において様々な形で語られています。

 

 少年よ、神の楽園について知っているか

 楽園は母の足元にあることを知るがよい

                    アンサーリー

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