神の預言者たちの特徴(1)
今回の番組では、預言者たちの特徴と彼らが神から選出された理由についてお話しすることにいたしましょう。
前回の番組では啓示についてお話しました。啓示は特別な指示で一種の神秘的な意識であり、人間の表面的な感覚では理解できないものであり、自然や物質の分析の枠内には収まらず、神の意志と要求によってのみ実現されるものです。啓示は私たちの知る関係や認識の範囲を超えたものであるにもかかわらず、恩恵溢れる影響により、私たちはその存在を信じているのです。預言者もまた啓示を天使から受け取る役割を持っています。
明らかに、預言者の選出は目的と計画を持ったものです。預言者は優れた人々で、性質と美徳の点でふさわしい地位にあり、楽園と関係があり、啓示を受ける用意を整えています。そのとき、もし神が望めば、神から選ばれ、預言者として遣わされることになります。とはいえ、啓示が下される時期やその方法は、神のみが知る問題で、人間が知るところではありません。神が望まなければ、その人がどんなに高い地位を持とうと、啓示を受けることはできないのです。
こうして、神は一部の人間を預言者として選び、彼らを通して啓示を人々にもたらしています。啓示を受ける中で人間は一切の関与はない、ということをお話しておく必要があるでしょう。預言者自身さえも、どんなに小さな関与も許されていません。彼は見えない世界のメッセージを受け取る鏡のようなもので、人々に過不足なく反映します。
神の預言者の真実性に関して、次のような疑惑が存在します。彼らは、神から啓示を受けているのか、本当に彼らの指示は神からのものなのか?彼らは思考的な才能に溢れ、その才能と努力により重要な真理を理解するのか?その真理とは通常の人間の目には見えないものであるが、彼らは社会でより高い地位を手にするために自らの言葉を神に関連付け、啓示と自らが預言者であることを主張するのか。それでは預言者と神の特別な関係が確立していること、そして彼らの指示や言葉が神からのものであることを明らかにするために、預言者になる前の彼らの特徴についてお話しすることにいたしましょう。
預言者たちは、自らが預言者であることを主張し、教義を広める前に、長い間、一般の人々と共に暮らし、人々の喜びや苦しみと共にありました。彼らは人々の痛みや悲しみをよく知っており、言葉や文化、風俗習慣を知っています。しかしながら、突然の変化を受け、すべての事柄が一変します。彼らが自身を神から遣わされた預言者だとし、自らの言葉を神の教えだとする時からそれは始まります。このとき、預言者になる前の時代の彼らの言葉や教えとは異なる言葉で語るのです。
これらの人々の言葉や思考が彼らの能力だけに由来するなら、預言者を主張した後に提示される考え方はその前の時代のものと同じです。こうした中、彼らの言葉は新たな状況において以前語られていた言葉とは異なります。これ自体が、彼らが実際神の預言者であり、彼らの見解は啓示によって受けたものであることを示しています。
明らかに預言者たちは神から遣わされる前にも特別な能力を持ち、誠実で正しく、清らかな性質を有していましたが、彼らの中の根本的な変化は、自身を神からの使い、預言者であると表明した時に現れます。これは神もまたコーランの中で指摘している問題で、神は預言者ムハンマドに向かってこのように述べています。
「このように(我々は神の前の預言者たちに啓示を下したように)啓示をあなたに下した。あなたは(これ以前)、啓典が何であるのか、また信仰がどんなものかを知らなかった」
この節は続けて、コーランと啓示を人間を正しい道に導く光だとし、このように述べています。
「しかし我々は、それを我々が望む僕を導く光とした。あなたは、それによって(人びとを)正しい道に導くのである」
その一方で、預言者たちが神の使徒でなく、見解を持った能力のある人々であれば、新しい思想が一気にではなく徐々に提示されていくでしょう。人類史は思想的な能力をもった多くの人間を輩出してきましたが、このような人々はその能力により時の経過の中で次第に頭角を現していきます。しかしながら、預言者の中では、こうした変化は一度、そして突然起こります。そしてそれを受け、社会の堕落した文化の影響を受けることなく、前例のない吉報や警告を語ります。預言者の生き方と教義の中に突然表れるこうした変化は、光と恩恵を生み出し、生命に満たされた新たな基盤に導くのです。
明らかに能力のある人々は自らの特別な状況に注目し、考える力や見極める力を有しています。彼らは自らの知性によって考え、結論に達しますが、結論付けの際に過ちに直面する可能性もあります。しかしながら、預言者たちはその知性に加えて、啓示という特別な認識力を備えています。預言者たちは真理を啓示という鏡の中に見出します。彼らが語っていることは真理そのものであり、誤りはありません。こうした中、能力のある人々は啓示の特別な能力を持ち合わせず、人間の認識力の制限により、常に過ちにさらされています。
一方で、預言者が神から選ばれた人々だということを明らかにする別の理由は、彼らの生き方や語った言葉です。歴史の様々な時代に預言者の地位に至った人々はすべて、人々の間で善行、誠実、清廉で知られていました。歴史の明らかな証拠に基づけば、これらの偉人たちは正直な人々であり、人々に誠実であるよう呼びかけ、嘘や欺瞞を避けるよう警告していました。このように誠実さを強調していた人々は、皆自らを神から遣わされた者であるとし、その言葉が神からのものだとしていました。彼らははっきりと、自分が語っていることは自分自身が意識して話している言葉ではなく、人間を幸福に導くための正しい真理である啓示であると述べていました。コーラン第53章アンナジュム章、星、第1節から4節までにこのような真理が述べられています。
「沈みゆく星に誓う。あなたがたの仲間は、迷っているのでも間違っているのでもない。また自分の望むことを言っているのでもない。それは彼に下された啓示に他ならない」
いずれにせよ、啓示の問題は、誠実な生き方をしている人々によって提示されます。興味深いのは、様々な時代において、様々な場所で預言者が現れている中で、彼らの言葉や啓示の原則は一緒だということです。これ自体、これらの言葉が神から下されたものであることをはっきり証明しており、彼らが神の世界とつながり、そこから啓示を受けていることを明らかにしています。
預言者たちの生涯をざっと見てみると、公正な人々は誰でも、預言者たちが自らの言葉において誠実であり、その教義は全知全能の神から下されたものであるという結論に達するということがわかります。この続きは次回のこの時間にお話しすることにいたしましょう。