バーレーンの虐げられた人々の声(音声)(画像)
バーレーンの罪のない若者3名の死刑に関して、盛んにメディアで取り上げられています。
バーレーンの主要な場所では、数千人が街頭に出て、ハリーファ政権の弾圧、特に最近の死刑に対する嫌悪感を表明しました。
バーレーンは多くのシーア派人口を抱えており、全人口に占めるシーア派の割合の点では、世界第3位のシーア派イスラム教国です。バーレーンは33の島々で構成されており、その首都はマナーマです。バーレーンはイスラム以前はイラン高原の帝国の一部でした。また、16世紀はじめには、ポルトガル植民地主義者の侵略を受け、1521年、ポルトガルに占領されました。
ポルトガルの占領からおよそ100年がたち、1602年、サファヴィー朝のアッバース1世はバーレーンに遠征し、外国の占領者からこの地を解放し、改めてイランに帰属させました。その後、180年間、バーレーンは完全にイラン領のひとつとみなされていました。
1783年、アラビア半島・ナジト地方出身のハリーファ家のアフマドが、この地を攻撃し、占領しました。その後、バーレーンの支配権はイギリスの全面的な植民地的、政治的支援によりハリーファ政権に託されました。現在のバーレーン国王もその子孫なのです。
イランの王は1968年まで、バーレーンの領有権の主張に関して沈黙することはありませんでしたが、政治的な対立の後、バーレーンがイギリスの植民地だったことから、バーレーンは1971年8月14に独立したとしました。イランも、バーレーンの独立を正式に認めました。
シーア派がバーレーンの多数派でもあるのにもかかわらず、バーレーンの王政は多くの圧制により、彼らを窒息状態に陥らせています。ハリーファ政権は長年、明白な形で、人権を侵害しています。
最近、ハリーファ政権は若者3名を偽りの理由で処刑しました。この罪のない若者3名の処刑は、バーレーンにおいて大きな抗議を呼びました。
この3名の処刑は、ハリーファ政権が彼らの罪状に関して何の証拠も提示しないまま、長期にわたり拘束していた中で行われました。この3名は2014年、アラブ首長国連邦の兵士2名、パキスタン人の兵士1名を殺害したという罪状により、死刑が宣告されました。バーレーンの多くの人々や団体がこの死刑判決に抗議していたにもかかわらず、ハリーファ政権は人々の要請を無視し、不当にもこの3名を殺害しました。
ハリーファ政権はこの3名を殺害し、いかなる抑圧行為も惜しまず行うだけでなく、この3名の遺体の引渡しにも応じず、完全に自己満足的な行動を取り、彼らを政権が管理する墓地に埋葬しました。このため、ハリーファ政権が終始見せかけの治安維持の中で犯罪を犯すことを決定していたことは、完全に明らかで、その犯罪行為は、この政権に大変危険な結果をもたらすことになるでしょう。
バーレーン・イスラム活動協会のアブドッラー・サーレハ事務局長代行は、3人の若者の死刑に関して、ハリーファ政権を非難しました。サーレハ事務局長代行は、次のように語っています。
「はじめから強調しているのは、これらの殉教者の血がバーレーンの独裁体制を崩壊させるということだ。1960年、バーレーンの人々は、現在の国王の父によって殉教したイーサー・ガンバル師の処刑が、どのように現在の国王の父の独裁体制を終わらせたかを目の当たりにしてきた。結果として、これらの若者の処刑によって、現在の国王も退位間近となっている」
バーレーンの人権センターのユースフ・ラビーウ所長も次のように語っています。
「バーレーンの3人の若者の死刑執行は、バーレーンの危機の政治的解決の扉すべてを閉ざしてしまった。バーレーンの現在の状況の責任はハリーファ政権にある。この若者3名の死刑により、状況は以前より複雑化した。ハリーファ政権はこの犯罪の責任を負うべきだ」
一部の政治アナリストは、ハリーファ政権がアラブ首長国連邦から脅迫を受け、2014年に起こった出来事に関して、容疑者を捕まえ、これらの容疑者に処罰を加え、アラブ首長国連邦にとっての脅威をなくすように仕向けられたと考えています。アラブ首長国連邦関係者のハリーファ政権に対する一連の圧力行使の後も、アラブ首長国連邦は兵士2名を殺害した容疑者を処罰しない場合、バーレーンの駐留軍を引き上げるとしており、ハリーファ政権はこの大きな犯罪行為を犯したのです。
ハリーファ政権は若者3人を処刑することで、アラブ首長国連邦とサウジアラビアの軍隊がバーレーンから引き上げないよう、これらの国の傭兵に貢物をさしだしたと考えられます。「半島の盾」とよばれる軍隊は、以前からバーレーンの革命運動家をこれまで以上に弾圧するためにハリーファ政権を支援する目的で、サウジアラビアとアラブ首長国連邦からバーレーンに進駐しました。
ハリーファ政権は人々の抗議の高まりと拡大を大変に恐れ、サウジアラビアとアラブ首長国連邦の軍隊を留まらせ、自国を守るようにさせました。なぜなら、ハリーファ政権はこれらの軍隊がなければ、人々は簡単にハリーファ政権を転覆することになるということをよく知っていたからです。
シオニスト政権イスラエルとも手を組んでいるハリーファ政権は、抗議者に対して圧力を加える上で、いかなる措置も惜しみませんでした。ハリーファ政権は人々の要求を無視して、抑圧的な行動を続けました。
少し前に、ハリーファ政権は、バーレーンのイスラム教徒の精神的な指導者であるイーサー・ガーセム師を自宅軟禁状態にし、彼の市民権を剥奪しました。これにより、人々の抗議の波が起こりました。
また、人々はガーセム師の自宅に集まって、体制側がガーセム師を傷つけることのないよう、そこを取り囲んでガーセム師を守る盾となりました。
興味深いのは、ハリーファ政権がガーセム師の市民権を剥奪する一方で、イラクのバアス党員などの外国人にバーレーン国籍を与えているということです。あたかも、ハリーファ政権はバーレーンの人口構成を変えるため、人々の間で支持者を増やすため、これらのバアス党員にバーレーン国籍を与えているかのようです。彼らはサッダームフセインの支持者で、恥ずべき背信行為の中でイラクや、イラン、クウェートなどの近隣諸国に対してに大きな損失を与えました。
バーレーンの人々は6年間にわたり、ハリーファ政権の犯罪や拷問に耐えつつ、穏やかに体制に反対する抗議デモを行ってきました。市民権の剥奪、自己都合的な逮捕、拷問などにより、ハリーファ政権の圧力や恐怖政治に対して人々を屈服させることはできていません。
バーレーンの人々は、いかなる人権機関からも支援を受けていません。一方、ハリーファ政権は、特にサウジアラビアの傭兵などによる外国の支援を全面的に受けているものの、人々の抗議を抑えるのに失敗しています。この抗議は2011年から始まり、沈静化していないどころか、日増しに拡大しています。
バーレーンの人々は抗議運動の開始から6年近く経過しているのにもかかわらず、ハリーファ独裁政権の差別政策により彼らの要求や権利が踏みにじられている中、現在も合法的な要求の実現を求めています。しかし、最近の若者3名の死刑は、人々の抗議の波を引き起こしており、この平和的な抗議は、新たな様相を示しています。
この3名の処刑は、政治思想家によれば、適切な措置ではなく、ハリーファ政権の混乱を物語っており、人々の嫌悪をよりいっそう高めています。一方、バーレーンの人々はハリーファ政権の刑務所の中で、圧力行使や拷問などにより傷を負っており、ハリーファ政権はこういった大きな犯罪行為により、自らを破滅に追い込んでいるのです。
シーア派の指導者に対する抑圧行為と3名の若者の処刑は次のような結果を招いています。それは、もしバーレーンの人々が先日まで平和的な革命の中にとどまるよう努力していたとしても、ハリーファ政権が犯罪行為を行うことで、今日、それらの努力が終わり、その後は、これまで以上にハリーファ政権に抵抗する革命が起こりうるというものです。