預言者の奇跡の特徴(2)
今回は前回に続いて、預言者の奇跡の特徴についてお話しすることにいたしましょう。
預言者の奇跡は、超常現象との関連を物語っており、神の意志と求めによるものです。神は世界の現象を創造し、それに基づいて一般のシステムを支配しています。前回の番組でお話したように、預言者の奇跡は、教わったり教えたりできるものではありません。つまり預言者は奇跡を起こすのに教えを受けたわけではないということです。このため預言者が奇跡によって行う驚くような事柄は、どんな訓練や修行を摘み、優れた技術を身につけようとも誰も行うことができないのです。奇跡においては、超自然の事柄が実行されます。人々は奇跡を目にすることで、人間はこのようなことを行うことができないと悟るのです。奇跡はさらに預言者の使命の主張が、啓示や世界の創造主と関係していることを示しています。今夜の番組では、奇跡についてさらに詳しくお話しすることにいたしましょう。
預言者たちの使命を証明する方法の一つに、奇跡があります。奇跡は通常の自然の法則を超えたことを行うことです。同時にそれは理性では受け入れられないものではありません。例えば奇跡によって、同じ瞬間に同じ場所で光と暗闇を存在させることはできません。あるいは2+2=5にはなりません。なぜならこれは論理的に受け入れられないからです。
このように奇跡は特別な現象を起こすものですが、論理から外れたものではありません。というのも原則として神は理性では考えられないようなことを行うことはないからです。そのため奇跡は因果関係に矛盾したり、創造の法則を乱すものでもありません。この壮大な世界を因果関係に基づいて確立し、生命を完全に支配している全知全能の神は、奇跡を私たちには分からないような因果関係に基づいて実現させているのです。このため人間の知識ではそれらを説明することができません。人間が事実を理解する上で持っている制限に注目すると、一部の奇跡に関わる要因を理解することはできず、また同時にその要因を因果関係から外して推測することはできないのです。
私たちは生きている間、通常の方法で物事を行うことに慣れています。例えば蛇の子どもは生まれた後、成長し、大きな蛇へと変わっていきます。あるいは地下水は井戸やカナートを掘ることで地上に流れます。また病人は薬を飲んだり、医者の治療を受けることで回復します。しかしながら新しい技術を用いても通常の方法では、枯れ木を一瞬にして大蛇に変えることはできません。また杖で石をたたくとそこから泉が湧き出たり、病気の人に手を当てただけで瞬く間にその人を回復させることはできません。しかしながら、こうした全ての出来事はこの世界で起きており、預言者ムーサーやイーサーの奇跡となっていました。こうした事柄がどのようにして起こるのかは人間には分かりません。しかしながらもしその現象の原因が明らかになるようであれば、奇跡とは見なされません。それは通常の流れに反する事柄が行われていないからです。
さらに例を挙げてみましょう。宇宙の征服、人類の月面着陸は、論理から言って可能なことであり、理性に受け入れられるものです。このため人間は数百年待ち望んでやっとこの長年の希望を実現させ、月を征服することに成功しました。とはいえ産業や技術の進歩により、そして多くの物理学者や研究者の努力によって、これは実現しました。これは奇跡と呼べるのでしょうか?
その答えは、否です。なぜならこの行為は、複雑で価値のある事柄ではありますが、研究者が持つ科学的な道具によって実現され、こうした専門能力を備え、必要な施設を揃えることのできる人なら誰でもできることだからです。一方でもし人間が必要な道具なしに、難しい科学的な努力も行わずに宇宙を支配できたとしたら、あるいはある意志と決定により、空を飛ぶことができたらなら、その場合はこれは奇跡と見なされるでしょう。この二つの現象の結果は同じで、どちらも宇宙を征服していますが、一方は通常の科学的な機器を使っており、もう一方は一連の目に見えない、人間には分からない要素を使用しています。
人間は世界の多くの現象の原因を発見してきました。こうした中、人間の思考や科学の限界に注目すると、多くの現象を説明することはできません。このため、そうした制限ある情報や認識によることで、真の原因がつかめないからといってその存在を否定すべきではないのです。人間の問題とは、すべての事柄を知っていると考えていることであり、問題の深さを理解できない時にそれを否定してしまうことです。こうしたやり方は合理的な、好ましい方法ではないでしょう。
その一方で、多くの出来事に影響する要素は、私たちが知っている事柄に限られません。実際、私たちは認識の制限や超自然現象の理解不能により、創造世界の未知の領域に入ることができません。私たちがこれまでその出来事について認識していた要素が、永遠のものであり、それらの出来事が通常の方法以外では実現不可能であると考える理由は一切存在しません。今日、一部の学者は、通常の自然の法則では説明できない一連の出来事を否定すべきではないとしています。それは、基本的に超常現象を否定する決定的な理由を手にしていないからなのです。
『人間 この未知なるもの』の著者であるフランスの生物学者のアレクシス・カレルは、このように書いています。
「各国で、様々な時代に、人々は巡礼地や聖地での奇跡や病気の治癒を信じてきたが、今日、こうした信念の基盤は揺るがされており、一部の医師たちは奇跡の存在を認めていない。こうした中、私が見てきたものによれば、こうした問題には真剣な検討と熟考が行われるべきだ。なぜならこのような事例は、別の問題を物語っているからである」
カレルは続けてこのように語っています。
「この種の多くの事例は、医療機関によって発見されたものである。我々もまた今、病気の治癒における礼拝や祈祷の即効性について多くの情報を得ており、骨や皮膚の病気、傷、癌などを持った様々な患者が治癒されている。彼らがどのように治癒されたかはそれほど違いはない。彼らの多くが激しい痛みを感じた後に、完全な治癒の段階に導かれている。しばらく後に傷が癒され、病気の兆候が消え、病人の食欲は回復するのである」
カレルは、世界には、それが起こる原因が人間には分からず、通常の法則でそれらを説明することのできない一連の出来事が起きているとしています。しかしながらその原因は存在し、人間の生活の中に強い形で影響を及ぼしているのだとしています。
預言者の奇跡は論理を超えたものではなく、通常の法則に従っている因果関係のあるものです。それらの違いは、こうした驚異的な出来事が複雑な法則や私たちが知らない要因に従っているということなのです。これにより、預言者の奇跡は創造の包括的なシステムからは外れてはいないと言えるでしょう。
もちろん、預言者であることを知る方法は奇跡に留まりません。人間が思想や知識の面で目覚しい成長を遂げている現代において、宗教や預言者の性質を知ることもまたその偉人たちの至高なる教えを理解するための方法です。預言者の類稀な道徳心やこの人類の偉大な師の教えについて学術的な研究を行うことで、神の使徒が現れた理由と彼らの天啓のメッセージの深さを知ることができるでしょう。次回の番組でもこの預言者の奇跡についてお話しすることにいたしましょう。