7月 25, 2017 00:51 Asia/Tokyo
  • 傲慢さとそれを抑制する技

今回は、傲慢さとそれを抑制する技についてお話することにいたしましょう。

私たちは社会において、性格も物事の感じ方もそれぞれ異なる人々と接しています。このため、彼らについて単純に判断することはできず、このような人々とうまく折り合うには辛抱強さと寛大な精神が欠かせません。他人に対して傲慢な人々は数多く見られますが、そのような人は人から好かれることはありません。人間は誰でも、自分の周りの人々が、謙虚で愛すべき存在であることを望んでいます。

今週は、傲慢な性格、そしてこれらを抑制する技術についてお話することにいたしましょう。傲慢な性格は、利己主義に端を発しています。人間は、自信過剰に陥ったときには必ず、傲慢になります。傲慢さはうぬぼれでもあり、自分を偉大な人物だと思い込む人は傲慢な人と見なされます。

自分のことしか見えず、自分勝手な人は、自己愛が強すぎる人です。このような誤った自己愛により、自分の欠点が見えなくなるのみならず、時には自分の欠点までも良いものとして提示するようになります。さらに、自分の持っている長所が実際以上に大きく見え、他人を取るに足らない存在と見なすようになります。

 

傲慢な性格の根本的な原因の一部は、自信があり、自分は完璧なので何も必要ないと考えることととされていますが、こうした精神状態は一般的には批判されるべきものです。イランの臨床心理学者ロバーベ・タブリーズィー博士は、こういった性格の根源は劣等感やコンプレックスにあるとし、次のように述べています。

「普通、幼少期に自分の両親といった近親者や教師、周りの人々から常に侮辱され、自分が他人より劣り、周りの世界が自分より高いレベルにあると考えてていた人は、成人してから他人を侮辱する、あるいは他人から侮辱されるような性格を持つようになる。他人を侮辱する性格の人は、他人に対して高圧的になることで、自分の幼少時代に植えつけられた深い虚無感を埋め合わせようとする傾向がある」

 

人間は、高圧的で傲慢になると、より高い目標には到達できなくなります。特に、他人より自分が優れていると見なすことで安心感を感じることから、傲慢な人にとって他人に相談したり、他人から助けを得るなどということは、プライドが許しません。さらに、利己的な人はその言動により、周りの人々の権利を侵害したり、他人に恐怖感を与え、脅迫し、不快感を与えることになるとともに、その人自身の良さや能力は理解されなくなります。ドイツの哲学者ニーチェの言葉を借りれば、傲慢は名誉を破壊する最も簡単な方法と言えるのです。

もっとも、傲慢さは否定的に考えられるだけのものではありません。つまり、よい意味でプライドのある人は常に、自分の持つものや能力を認識しており、その能力に誇りを持ち、今自分が持っているものは、自分が経験してきたことなどによる結果であると考えています。そしてさらに、これらの能力を常にプラスの方向に活用し、自分をさらに高めようと努力します。良い意味でのプライドにおいては、人は決して自己逃避することなく、また他人を妨害することはありません。このような特徴により、個人的、社会的、精神的な成長や進歩を遂げることになります。

 

イスラムの聖典コーランは、悪魔イブリースを傲慢の主なシンボルと見なしています。イブリースは、およそ6000年にわたり神を崇拝し、高い地位にありました。しかし、神の命に反対し、傲慢な態度を取ったため、永久追放という運命をたどりました。

コーラン第38章、サード章、「サード」第74節から76節までにおいては、傲慢になる要因とは、人種面での優越感にあるとされており、イブリースは種族的により優れていると見なしたことから、傲慢になったと述べられています。このため、このような考え方を持つようになった人は支配欲を持ち、圧制や腐敗に手を染め、法律に違反するようになります。

コーランによれば、傲慢は神や自分自身から遠ざかり、判断を誤り、真理の道を見失い、各種の罪に手を染める発端だとされています。このため、コーラン第31章、ルクマーン章「ログマーン」、第18節には、「神は決して、高圧的で傲慢な者を愛されない」と述べられています。

 

それでは、どうすれば自分の中の傲慢な性格を抑えることができるのでしょうか?この疑問に対する答えは、コーラン第17章、アル・イスラー章、「夜の旅」第37節に見出すことができます。神はこの節において、信徒たちに傲慢にならないよう明確に促し、次のように述べています。

“また、高慢に地上を歩いてはならない。あなた方は大地を裂くことも出来ず、またあなた方の背丈は決して山の高さに及ばないのだから。

コーランは、傲慢を否定すると共に、人類に対し、自分を愛すると同時に、他人にも寛容になるよう求めています。これについて、コーラン第15章、アル・ヒジュル章、「ヒジル」第88節には次のように述べられています。

“敬虔な人間のために、自分の慈悲の翼を下げるがよい。“

人間は、自分を愛するときには自分にとって健全な環境がよいことを認知しており、その結果として自分の周りの全ての人々を愛するようになります。そのような人は、自分が周りの人より優れており、彼らと違う存在であるとは考えず、実際にその人にとっては全ての人々が尊敬の対象なのです。

コーランは、この技術を獲得し、礼節や謙虚さを身に着けるよう奨励しています。コーランの視点では、傲慢な性質を失わせる方法の1つとして、必ず挨拶をすることを挙げています。礼節により、傲慢な性格を薄れさせるのを助けます。このため、神はコーラン第25章、アル・フォルガーン章「識別」、第63節において次のように述べています。

“慈悲深き神の僕たちとは、穏やかに、かつ謙虚に地上を歩く者、また無知な人々が話しかけ、知性や教養に欠ける言葉を浴びせてきても、穏やかに挨拶する者である”

イスラムの預言者ムハンマドは、自分が乗り物に乗っていたときに決して他人を歩かせることはなく、その人にある所に赴くよう促し、自分もそこに来るからその場所で会おうと述べています。それは、誰かが乗り物に乗っている傍らで別の誰かを歩かせることは、乗り物に乗っている人が傲慢になり、歩いている人が劣等感を感じることになるからです。