4月 12, 2018 22:03 Asia/Tokyo
  • よいことを薦め、悪事を戒める
    よいことを薦め、悪事を戒める

今回は最後に、よいことを薦め、悪事を戒めるということについてお話することにいたしましょう。

社会関係に影響を及ぼす要素として、疑問を提示すること、抗議すること、導くこと、言動において許されることと許されないことを示すことが挙げられます。時には、ある人物が社会の好ましくない現象を批判したり、あるいは戒めるという方法で、言動を矯正しようとする人もいます。これらの事柄は、表面的には非常に容易に見えますが、実際はそれほどたやすいことではありません。

 

悪い事柄を批判し、咎めることが有益で効果的なものとなり、その人の感情を害することなくその過ちに気づかせるためには、複雑なプロセスや特別な手腕が必要になります。そうでなければ、私たちの働きかけは単に相手を苦しめるだけでまったく効果がなく、さらに相手の気分を壊すことへの恐れから、この行動をあきらめてしまう可能性があります。しかし、人間は誰でも、正しい行いは認められ、過ちを指摘、批判されなければ、人間として成長し、社会生活を維持していくことはできません。

 

よい行いとは、人間の清らかな本質が完全な形で知っています。このため、人間にはよい行いが奨励され、悪い行動は、忌まわしく醜い行いとして回避され、それを行うことは禁じられます。

 

よい行いを呼びかけることは、人間の生活が社会的なもので、集団性を帯びていることから重要なものとされています。人間は健全で清らかな環境においてこそ、社会的に成長できることは言うまでもありません。

よいことを薦め、悪事を戒める

 

一方で、宗教は神から聖なる書物や伝統という形で下され、人間自身や社会の成長を目標にすえ、人間が感じ、考え、行動するための基準を有する体制を持っています。このため、宗教的な社会では、慣習や規則への違反、あるいはそれを忘れることは、社会の秩序の乱れや退廃につながり、その健全性が脅かされることになります。このため、宗教の教えはその信者たちに慣習や規範の遵守を奨励しています。イスラム教徒は、自らその教えを守るのみならず、他人にもそれを遵守するよう促す義務があるのです。

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よい行いを奨励し、悪い行動を戒めることで、社会の規範の実施や人間的な価値観の実現の土台が整います。社会を構成する人々が互いに注意しあい、よい行いを奨励し、醜い行いを戒めあうようになれば、人々の精神によい行動を取る基盤を確立することになります。

 

イスラムの預言者ムハンマドは、社会を1隻の船のようなものだとしており、よい行いを奨励し悪事を戒めるという責務が理にかなったものであることを、例えを用いて見事に表現しています。また、彼は人々が社会を監視することを1つの自然権だとし、次のように述べています。

 

エ;“人々のうちで罪を犯す人は、大勢の人々と一緒に船に乗り、船が沖に出た途端に斧を取り出して、座っている場所に穴を開けるような人である。誰かに文句を言われれば、その人は即座に、私は自分の場所を仕切っているのだから関係ない、と切り返す。他人が、その人の危険な行動をやめさせなければ、たちまち浸水し、全員が海に沈んでしまうことになる”

 

このため、コーランの文化ではイスラム教徒はある意味で、全ての人々に対する責任を持っているとされ、社会の慣習や規律への違反に無関心でいることなく、互いに監視しあい、健全な社会の実現に努力すべきだとされています。互いに監視しあうことは、社会を健全なものにするために協力し、教えあうことと伴います。これについて、コーラン第3章、アール・イムラーン章、「イムラーン家」第104節には、次のように述べられています。

“またイスラム教徒のうち一団の者は、人々をよいことへと招き、正しいことを命じ、邪悪なことを禁ずる。これは救われる者たちである”

コーラン

 

コーランにおける良い行いの奨励は、神への信仰心や公正さ、忍耐、神を思い起こすこと、心を込めて物事を行うことと同様の行為とされており、戒めの対象となる悪事とは、圧制や暴虐、犯罪や反逆行為、裏切り、対立を起こすこと、宗教の教えに反対すること、真実を隠すこととされています。

 

重要な点は、善良な言動を呼びかけ、或いは好ましくない行動を戒めるという技術です。ここで、欠点を指摘し、批判する際の方法について知っておく必要があります。それは、多くの場合において、この技術を知らないために誤解を招き、結果的に無意味な口論や不満、怨恨や嫌悪感を引き起こして、好ましくない事柄を戒めるという効果がなくなってしまうからです。批判を受け入れることを、「良薬は口に苦し」とするならば、薬を調合するのと同様のことを行う必要があります。薬を調合する場合、苦い薬を甘い物質の間に挟み、これを服用する人の口に入った時に苦味が少なくなるように工夫しています。

 

実際に、コーランが注目している点は、善い行いを奨励する条件です。外科医が患者に手術を施す場合に様々な条件を考慮し、一部の患者については年齢的に手術に耐えられない、或いは病気が進行していて手の施しようがないことなどから、手術をしない場合があることを考えてみてください。悪い習慣や行動を改め、矯正するための教育において、精神科医はその人の可能性に注目します。

 

一部の人々は、人格障害を抱えていたり、罪悪感の欠如や精神面での成長不全といった精神面での疾患などにより、他人からの批判や忠告に反発するなどの反応を示します。こうした場合について、神は、忠告や注意を与えることがその人に伝わり効果があるならすればよいが、そうではなく、善良な事柄を奨励してもその効果がなければ、そうした忠告は無価値となります。

 

ラジオをお聞きの皆様、これまでお伝えしてまいりました「生きるための技術」はいかがでしたでしょうか。次回からは新番組をお届けします。どうぞ、お楽しみに。

 

 

 

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