6月 30, 2018 17:35 Asia/Tokyo
  • フルートベール駅で
    フルートベール駅で

この時間も、前回に引き続き、2013年のアメリカ映画、フルートベール駅でについてお話しましょう。

この映画は、2009年の元旦にアメリカで、黒人の青年が警官に射殺された事件を映画化したものです。

フルートベール駅で

 

前回お話したように、黒人の若者オスカーは、母親の誕生日を祝うため、妻のソフィーナと娘のタチアナと共に、母親の家に向かいます。母の誕生日を祝った後、オスカーとソフィーナは、仲間たちと新年を祝う花火を見に行きます。オスカーと仲間たちは、フルートベール駅の近くで白人と喧嘩になり、そのフルートベール駅で電車を降ります。

 

白人の警官たちが騒ぎに気づき、オスカーの仲間たちのみを逮捕し、無理やり駅の片隅に座らせます。オスカーの妻は駅を離れ、オスカーは車両に戻ります。白人の警官の一人も地下鉄に乗り込みます。オスカーは、黒人と白人の乗客の間を縫って、その警官から逃れようとしますが、警官は彼を無理やり、電車から降ろし、他の3人のもとに連れて行きます。

 

オスカーは、何もしていないのに、なぜ自分たちが逮捕されなければならないのかと言います。オスカーの仲間たちも、自分もそう思うが、解放してくれないと訴えます。警官の一人は、オスカーの仲間の体を蹴り、他の仲間の居場所を教えるようにと言います。オスカーと仲間たちは、他に友達はいないと言います。すると、女性警官が携帯電話で、駅のホームにいて容疑者4人を逮捕したと言い、援護を要請します。そこで男性の警官が、黒人を地面にたたきつけ、その体を引きずります。それを見たオスカーと仲間たちが強く抗議すると、女性警官が彼らに銃を向けます。黒人を殴った警官が今度はオスカーを襲います。オスカーの頬を強く殴り、それから腰にあった銃を手にして彼らを威嚇します。そこに、数人の警官が加わります。オスカーは、地下鉄と駅にいた他の乗客と同じように、そのような警官の暴力的な行動を携帯電話で撮影します。警官は、それをやめるようにと言います。そのとき、暴力をふるった警官が、他の警官たちに、黒人たちのことをきちんと見張っているように言い、自分は電車の中の目撃者に話を聞きに行くと伝えます。

 

そこで、オスカーの妻のソフィーナがオスカーに電話をかけてきます。ソフィーナはオスカーに、どこにいるのかと尋ねます。オスカーは、自分はまだフルートベール駅にいて、警察に見張られており、意味もなく殴られていると伝えます。ソフィーナは何のために殴られなければならないのかと言います。オスカーはひどい警官だと言います。すると、警官の一人から、携帯電話を切るように言われます。オスカーは、ソフィーナに、今すぐホームから上がるからそこで会おうと言います。オスカーは仲間に、心配しなくてもいい、すぐにここから離れられるからと言います。オスカーが立ち上がると、警官は、座るように命じます。オスカーは、話をさせてくれと言いますが、警官は、暴力によって黒人たちを座らせます。そこにいた人々がその様子を撮影します。オスカーは仲間たちをなだめ、心配することはない、彼らは好きなだけ自分たちをここに留まらせることはできるかもしれないが、逮捕することはできない、なぜなら自分たちは何もしていないのだから、と言います。すると、警官が今何と言ったのかとオスカーにつっかかります。オスカーは、自分たちは何もしていないのだから、むやみに逮捕されることはないと言ったのだと返します。警官は、別の警官に向かって、2人に手錠をかけるようにと言います。別の警官は、無理やりオスカーの仲間に手錠をかけようとします。オスカーは、逮捕を命じた警官に向かって、自分たちは家に帰りたいだけだと訴えます。すると警官は、もっと早くそのことについて考えるべきだったと言います。それを聞いたオスカーは、仲間に向かって、この警官は本当にどうしようもない人間だと言います。警官は、それに対してオスカーたちを侮辱する言葉を発します。二人が言い合いになると、別の警官がオスカーを地面に倒し、彼に手錠をかけます。言い合いをした警官が、オスカーの頭を踏みつけます。オスカーの仲間たちも、駅にいた人々も、それに強く抗議します。すると突然、警官の一人がオスカーに銃を向けて発砲します。皆が混乱した様子でオスカーを見つめます。そのとき、地下鉄のロビーで銃声を聞き、恐怖を感じるソフィーナの姿が映し出されます。

 

オスカーは口から血を流しながら、自分は撃たれたのか、とつぶやきます。オスカーの真っ暗な視界が映し出され、警官たちはショックと恐怖で呆然としています。オスカーはまた、自分は撃たれたのか、娘がいるのにと言います。仲間がオスカーに立ち上がるよう促します。仲間たちがオスカーに近寄ろうとすると、警官たちが彼らを力ずくで引き離し、近寄らせまいとします。そのとき、列車が走り出します。オスカーを撃った警官は、オスカーの体をまさぐり、もう一人の警官は救急車に電話をします。そして、オスカーを撃った警官に向かって、なぜこんなことをしたのかと言います。それから、オスカーの脈を確認します。オスカーはまた、自分は撃たれたのかと言います。警官は恐怖と不安を感じながら、オスカーに向かって、決して死ぬなと言います。オスカーはまた、自分には娘がいるのにと言います。警官は、目をつぶらないようにと言います。地面に落ちたオスカーの携帯が鳴っています。

 

アメリカの黒人に対する警察の暴力

 

今お話ししたシーンで、カメラの動きにより、警官による暴力が非常に自然に映し出されています。この映像は、警官の不条理な暴力を明らかにしています。警官は、何の根拠もなく、白人ではなく、黒人の方を犯罪者と見なします。警官は、安全を確立し、法を実行する支配者の代表であり、人種差別的な見方によって、黒人を不平等に扱います。このことは、2013年にも、アメリカ社会には白人が優位であるという考え方や人種差別が残っていることを物語っています。

 

 

多量の出血により、オスカーは病院に運ばれます。オスカーの妻、母、その他の親しい人々が、不安な様子で祈りながら、黒人の医師の手術室の外で、最終的な診断の結果を待っています。

 

医師が手術室から出てきて、「ダメだった」と告げます。そこにいた人々が泣き崩れます。オスカーの母が、オスカーに会いたいと言います。医師はそれを許可しますが、部屋に入ってはならない、なぜなら、これは刑事事件だからと言います。オスカーの母が再び彼に会いたいと言うと、黒人の看護師は、自分が連れて行くと言います。オスカーの母は、黒人の看護師と一緒にオスカーの遺体に向かいます。オスカーの母は、格子の外から、オスカーを見つめます。

 

オスカーの母は、泣きながら、私が地下鉄で行けと言ってしまった、こんなことになるなんてとそれを悔やみ、自分を責めます。安全のために地下鉄で行けと言ったのだが、車で行かせていればよかったと言い続けます。

 

病院で悲しむオスカーの母

 

病院のシーンで、カメラはゆらゆらと揺れながら、オスカーの家族の悲しい別れの場面を自然に映し出し、この若者の不当な死を強調しています。オスカーの母の言葉は、黒人が市内を移動する際には、公共の交通機関であり、すべての市民の安全を保障するはずのものである地下鉄よりも、車の方が安全であることを暗に示そうとしています。

 

「フルートベール駅で」という映画は、公共の場所や地下鉄などの公共交通機関が、黒人にとっては十分に安全な場所ではなく、彼らによくないことが起こる可能性があることを示しています。映画の中では、警官にはしかるべき罰が下ることはなく、フルートベール駅の人々の実際の様子が映し出されて終わります。

 

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