サーサーン朝時代の史跡群の世界遺産登録
イラン南部のファールス州にあるサーサーン朝時代の史跡群が、イランで23番目の世界遺産としてユネスコに登録されました。
ユネスコの世界遺産委員会は、6月24日から7月4日まで、バーレーンの首都マナーマで開催され、ユネスコ加盟国による世界遺産の申請について話し合いが行われました。この会議では、各国の30の遺産のユネスコ登録が検討され、そのうち22件は文化・歴史遺産、5件は自然遺産、そして3件は自然・文化遺産となっています。
イランは、2件の史跡の申請を行い、6月30日に、ファールス州のサーサーン朝時代の史跡群に関する採決が行われ、ユネスコの世界遺産に登録されることになりました。
ファールス州のサーサーン朝時代の史跡群は、フィールーズアーバードから始まり、ビーシャープール、サルヴェスターンまでに至ります。この広大な地域には、宮殿、都市、洞窟があります。一部の考古学者は、これらの史跡群のそれぞれが、ユネスコの世界遺産に登録される可能性を有しているとしています。
カーゼルーン行政区のビーシャープール、古代都市グール、フィルーズアーバード行政区のドフタル城塞とゾロアスター教寺院、サルヴェスターン行政区のサルヴェスターン宮殿が、ユネスコの世界遺産に登録された、ファールス州のサーサーン朝の史跡群となっています。
この40年、ファールス州からは、タフテジャムシード、パーサールガード、エラム庭園がユネスコの世界遺産に登録されました。そして今回、登録されたサーサーン朝の史跡群は、ファールス州で4番目の世界遺産となりました。
ビーシャープールは、チョガーン渓谷の傍らに位置し、古代都市のカーゼルーンからは15キロ離れています。ビーシャーブールは、サーサーン朝の栄光と偉大さを物語る最も重要な史跡であり、現在はその廃墟が残っているのみです。
歴史の古さ、地理的な位置、さまざまな景観、都市の拡張の方法、空間の使い方などは、これらの歴史的なアイデンティティの形成に影響を及ぼします。実際、都市は自然を完全に利用した上で形成され、自然環境の特徴を活用します。ビーシャーブールの町がチョガーン渓谷や河川、山の傍らにあることは、町の安全確保におけるこれらの要素の重要性を物語っています。
ビーシャープールは、人々の家、城塞、アナヒタ寺院などの遺跡を有し、これらすべてが共に存在しています。これらとともに、王朝の栄光を示そうとする様子も忘れてはなりません。サーサーン朝のシャープール1世は、ローマ皇帝ヴァレリアヌスと戦って彼を捕虜にしましたが、この出来事にちなみ、ヴァレリアヌス宮殿が建設されています。
チョガーン渓谷は、カーゼルーンの町から23キロ、ビーシャーブールの正面に位置しています。その間には、シャープール川が、北東から南西に向かって流れています。シャープール洞窟は、ビーシャーブールの町から6キロ、カーゼルーンからは25キロのチョガーン渓谷の先にあり、標高はおよそ800メートルです。この洞窟の入り口の直径はおよそ30メートルで、シャープールの彫像が入り口にあるため、シャープール洞窟と呼ばれています。
この高さ6メートル、重量30トン以上のシャープール像は、古代イランの彫刻の傑作で、1700年近くが経った今も残っています。この彫像は、地震によって崩れてしまいましたが、1957年に修復され、再び元の形に戻されました。この年、洞窟に簡単に行けるようにするために、山すその傾斜の激しい場所から洞窟の入り口まで、230段の階段が作られました。
シャープール洞窟は、ビーシャーブールの町の近く、山の中腹にあります。シャープール像は、古代から残る唯一の石の像です。シャープール洞窟は、チョガーン渓谷の西にある3つの洞窟のうちのひとつです。
古代都市グールは、かつて、ファールス州の中心でした。グールは現在、忘れられた町となっており、フィールーズアーバードがそこから3キロ離れたところに位置しています。この町は、3世紀初めにアルデシール・バーバカーンの指示によって建設されました。
グールという名前から、フィールーズアーバードという名前が広がったのは、10世紀以降のことだと言われています。当時の歴史書によれば、グールは、イランで最初の円形の町だったことで知られています。
ヴァレリアヌス宮殿は、ビーシャーブールの歴史都市でよく知られた宮殿です。この建物は、城塞の北側に位置しており、模様の入った石でできています。ウクライナの考古学者、ロマン・ギルシュマンは、この建物は、サーサーン朝のシャープール1世が、捕虜としたローマ皇帝ヴァレリアヌスをそこに住まわせ、生涯、監視したとしています。
ヴァレリアヌス宮殿は、サーサーン朝時代の建築様式で、外壁は白い漆喰で覆われています。この宮殿のすべての部分には美しい浮彫細工が施されていました。
西暦637年、ビーシャーブールはイスラム教徒に征服されました。その後、8世紀から9世紀にかけてはほとんど繁栄を遂げず、10世紀になって再び力を取り戻しました。しかしその後、ビーシャーブールの人々の多くは、カーゼルーンに移り住んでいきました。
フィールーズアーバードのドフタル城塞は、フィールーズアーバードとシーラーズを結ぶ街道から6キロ離れた山の上にあり、街道からはおよそ300メートル、離れています。考古学者のジョージア・ハーマンは、「古代イランの文明と芸術の復活」という本の中で、次のように記しています。「サーサーン朝の皇帝、アルデシールは、おそらく、この城塞をアルサケス朝の末期に建設した」
フィールーズアーバードのドフタル城塞は、1700年前から現在まで残っています。この歴史的な城塞は、山の上にあり、決して侵入することができないように見えます。この城塞は、224年から241年の間に、アルデシールバーバカーンの指示により、町の保護とアルサケス朝の最後の王の攻撃を防ぐために建設されました。
ドフタル城塞は、石と漆喰でできており、敷地面積は2000平方メートルを超えています。この歴史的な城塞は、3つの階段状になった建物で形成されており、奥にある建物には大きなドームがあり、そのドームは四角形の建物の上に建設されています。この建物は、タフテジャムシードのアケメネス朝時代の芸術様式による漆喰細工が施されています。
サルヴェスターンのサーサーン朝時代の宮殿群は、サルヴェスターン市の南に9キロのところに位置し、面積は25ヘクタールです。この宮殿は、サーサーン朝時代のバフラームグールの時代、当時の著名な宰相によって建設されました。
サルヴェスターン宮殿は、石と漆喰でできており、中央には四角形のテラスがあります。このテラスは13メートルの四角形で、高さは18メートルです。この建物は、フィールーズ宮殿より小さく、レンガでできたアーチ形のドームが建設されています。
サルヴェスターン宮殿は、サーサーン朝時代の最も壮麗な宮殿で、入り口にテラス、中央にはドームと中庭があり、この時代の他の建物に比べて、複雑な建築になっています。歴史的な資料によれば、この宮殿は休息のための場所で、狩猟場があり、バフラームグールはそこで多くの時間を過ごしました。