よもやま話 エネルギーに関するイランの芸術と技術の成果5
イランのユネスコ世界遺産のひとつに、イラン式の庭園があります。
これらの庭園の建築の多様性は、イラン人建築家の賢さと芸術性を示しています。
こうした芸術と技術は、水資源の利用とその保護の中にも見られます。この時間は、この問題についてお話しましょう。
イラン人にとって、庭園は約束された天国を示すものでした。それは、イラン高原が、植物の少ない乾燥した地域であったためです。それゆえ、緑の空間や水は貴重なものでした。
紀元前4000年、狩猟を行っていた人々が山からイラン高原へと降りてきて、農業に従事し始めると、彼らは自分たちの考え方や生活のさまざまな場面を、陶器の上に刻むようになりました。この時代から発見された陶器には、木に囲まれた池がよく見られます。また、4つの部分に別れ、その真ん中に池のある世界が描かれたものもあります。
はるか昔から、一方の辺がもう一方よりも長い十字型が、イランの庭園のデザインとなり、それは、数字の4を示すチャハールと、庭園を示すバーグという単語を組み合わせ、「チャハールバーグ」と呼ばれるようになりました。チャハールバーグは実際、乾燥した地域や人口の多い都市の中で、憩いの場を作るための解決策でした。イランでは、水のあるところには必ず、庭園が作られており、流れる水を大切にする傾向が見て取れます。
ケルマーンのシャーフザーデ庭園
イランの庭園において、池の存在は非常に重要であり、その形や大きさはさまざまです。池は、庭園の中心に建設され、サファヴィー朝時代からは、庭園建築に足湯が使える池が加えられました。
イランの人々に好まれている木には、ポプラ、プラタナス、マツ、ヤナギ、もみじ、セイヨウトネリコ、イトスギ、その他の果樹があります。また、花の中ではバラがとくに重要で、庭園の中にはたくさんのバラが植えられていました。
庭園や花は、イランの人々にとって非常に重要であり、彼らは寒い季節にもみずみずしい庭園を保とうと努めていました。例えば、サーサーン朝時代には、ケイホスロー1世のために、幹が銀、枝が金と宝石でできていて、果実の中には良い香りの飲み物が入った木が作られていました。
庭園を構成するのは、植物と建築の2つの要素です。イラン式庭園の目的は、人間が思い浮かべる天国での生活を実現することです。神の言葉では、この天国の様子は、植物と水という2つの象徴によって描かれています。
水は、庭園を形成する最も重要な要素のひとつであり、水の存在により、庭園の美しさ、みずみずしさ、躍動感が倍増します。庭園における水の存在は、特別な概念に基づいたもので、その分配は、一定の秩序や規則に従っています。その規則は、水や灌漑の物理的な特徴に注目するとともに、建築や美しさをも考慮したものになっています。
イラン式の庭園の建築は、水を基本にしています。イラン式の庭園は、水が存在するようになった頃から、大きく支持されるようになりました。水は、計算しつくされた方法によって流れ込み、池や噴水を作っており、その音や動きによって安らぎと新鮮さを与えています。
庭園の水の動きは、独特の秩序があり、その建築の構造と調和したものになっています。
数百年前、イランの庭園は、多くが斜面に作られていました。そのため、水の流れが速くなり、大きな音を立てていました。イラン式の庭園にみずみずしさと潤いを加えていたのは、この水の流れであり、庭園を心地よい空間にしていました。
一部の庭園では、水は池に流れ込み、その池の枠は石やレンガでできていて、底には水の動きが美しく見えるように、白い色の石が置かれていました。
イラン式庭園の内側の空間は、対照的な構造で、水の流れもそれに基づいていました。これにより、水が導かれ、無駄にならないようにされていただけでなく、木の植え方にも正確な秩序が生まれていました。
さきほども触れたように、庭園の水は、止まっているか、流れているか、溢れているかの3つの状態があり、イラン式の庭園では、この3つの状態のいずれかが非常に多く見られます。これらの3つの状態の違いにより、庭園の美しさに多様性が生まれます。
水の流れが溢れているところでは、水は池の中から溢れているか、あるいは噴水のように上に向かって吹き出しています。また、水の流れている場所では、滝のような激しい流れが見られます。
いずれにせよ、イラン式庭園の水のシステムは、水とそのエネルギーを庭園という空間で最大限に利用することに基づいたものです。水は、上に向かうか、下に向かうかの2つの状態にあり、その動きの多様性は、この2つの状態から生まれます。噴水のように上に向かって吹き出すときには、圧力の力を借りており、下に向かうときには、重力の力を利用しています。
イラン式の庭園の多くは、特に中部の砂漠地帯に造られていました。そこでは、カナートと呼ばれる地下水路から、水が庭園へと導かれていました。
こうした中、庭園の灌漑においては、井戸の存在も注目されていました。これらの井戸は、地下水が存在した頃に掘られましたが、この地下水は、湧き出たり、流れたりするほど、量の多いものではなかったため、井戸からくみ上げられ、大小の池に貯められました。
とはいえ、一部の地域では、庭園の水を確保するために泉や池が利用されていたこともありました。そこでは、水が庭園を通った後、地上では小川になり、また地下では特別な水路を通って、目的地へと導かれていました。
概して、イラン式の庭園には、庭園の入り口、その内部、そしてその出口の3つに水の流れのポイントがあります。庭園を潤す水は、その源がどこであろうと、庭園の中の植物などのために利用された後、都市や畑、別の庭園へと流れていき、また別の場所を潤すことに役立てられているのです。