8月 29, 2018 20:13 Asia/Tokyo

今回は、イラン北西部・東アーザルバーイジャーン州の中心都市タブリーズ市内の、由緒ある2つの重要な建造物をご紹介してまいりましょう。

タブリーズ市は、波乱万丈の歴史を歩む中で、7回にもわたりイランの歴代王朝の都となり、貴重な遺産を保有しています。また、これまでに大震災により何度も破壊されたにもかかわらず、ここには数多くの価値ある名所旧跡が存在します。この町の主な文化遺産には、由緒ある旧邸宅が挙げられ、歴史家の見解ではそれらの数は500軒以上に上るとされています。

タブリーズ市内に数百件も存在するとされる旧邸宅には、主なものだけでもヘイダルザーデの邸宅をはじめ、クーゼコナーニー、ギャンジェイー、ギャルースィー、サルマースィー、モジタヘディー、サッタールハーンなどがありますが、これらはそのごく一部に過ぎません。これらは修復、改修工事が加えられた上で、主に博物館として一般の見学者用に公開されています。

これらの邸宅は、タブリーズの貴重な文化財であるとともに精神的な財産として、現在と未来の世代をその先祖へとつないでいるのです。さらには、この歴史ある町の豊かな文化を国民レベルで、また国民という枠を超えて広く世界にアピールする上で、重要な役割を果たしています。

 

それではまず、アミールネザーム・ギャルースィーの邸宅からご案内してまいりましょう。ここは、現在ではガージャール博物館として一般に公開されています。この邸宅の持ち主だったアミールネザーム・ギャルースィーは、ガージャール朝の為政者ナーセロッディーンシャーの時代の政治家でした。この人物の邸宅は、今では、花々が咲き乱れる大きな中庭と壮麗な建物による博物館となっています。この博物館の建物や敷地内をそぞろ歩きすると、ガージャール朝時代というイランの現代史上の重要な時代の歴史や文化の足跡が見て取れます。

 

アミールネザーム・ギャルースィーの異名で知られるハサン・アリー・ギャルースィー

 

ガージャール博物館は、タブリーズ旧市街の一角にあります。ガージャール朝時代には、この地域にいくつもの壮麗な建物が建設されており、これらの邸宅の中でもアミールネザーム・ギャルースィーの邸宅は、最も価値の高い遺産の1つとして、今なおその独自の壮観さを誇っています。

ガージャール朝時代が始まって間もない、アッバースミールザーの治世に、タブリーズは皇太子をはじめとする王族たちの本拠地となり、その後もこのガージャール朝の歴代の為政者たちがここを本拠地として政務に当たりました。さらに、イランとロシアが戦火を交えていた時期には、タブリーズに司令本部が置かれていました。

 

アミールネザーム・ギャルースィー邸宅

 

 

 この邸宅は、2階建てとなっている建物の床面積が1500平方メートル、中庭と外庭を含めた総敷地面積は3000平方メートルにも及びます。中庭と外庭にはいくつもの花壇や池が設けられ、この邸宅の美しさを何倍にも引き立たせているとともに、テラス全体には美しい柱頭のある16本の柱が立っています。

この建物の最上階には、迎賓用の比較的大きな扉が2つあり、それらはいずれも、中庭に面し16本の柱のあるテラスに通じています。また、この階には、オルスィーと呼ばれる独自の幾何学模様をあしらった色鮮やかなステンドグラスがはめ込まれ、また室内の広間に施された化粧漆喰や鏡細工がさらに美しさを添えています。

さらに、地下階には大きな池があり、これもこの建物の最も美しい見所の1つとなっています。この階の東側には4つの部屋が、西側には7つの部屋が設けられています。池のあるこの階には、石造りの堅固な柱と、非常に美しいレンガ造りのアーチがあり、夏の暑い時期にも天然の涼風により快適な気温に保たれていることから、訪れる人々の驚愕を誘っています。

この邸宅においては、その構造上の美しさに加えて、それぞれ個別の名称を関した複数の広間に展示された、ガージャール朝時代の手工芸や芸術品が見られます。

 

 

アミールネザーム・ギャルースィーの邸宅

 

地上階には、コインの間、金属の間、音楽の間といった名称を冠した複数の広間があります。また、地下階にも、石の間、武器の間、建築と都市の間、鍵の間などの独自の名前のついたいくつかの広間があります。

この邸宅博物館に収蔵されている貴重な展示品には、アミールネザーム・ギャルースィーをはじめ、アッバースミールザー皇太子、大宰相アミール・キャビール、ガーエムマガーム・ファラーハーニーなど、ガージャール朝時代の要人たちの彫像があります。

また、ここに展示されている絵画も見る者をうならせるものです、さらに、ナーセロッディーンシャーの時代にイランに持ち込まれた、昔懐かしいカメラで撮影された写真も展示されているほか、象嵌細工などの手工芸品、書道や手書きの写本、当時を偲ばせる衣服、そして生活用品などは、民俗学や社会学的な視点から、非常に魅力的で価値あるものとされています。

この邸宅に足を踏み入れると、建築や構造面での美しさに驚かされるとともに、壮麗な広間の内部をそぞろ歩きするごとに、ガージャール朝時代の歴史的なロマンや、当時の生活ぶりが偲ばれます。

 

 

ガージャール博物館

 

それでは引き続き、タブリーズ市内にあるもう1つの著名な旧邸宅、シャルバトオグリ邸をご案内してまいりましょう。

シャルバトオグリ邸も、ガージャール朝時代のものとされています。この邸宅は、古い街区内にあり、レンガでできています。この邸宅は、タブリーズ市内の観光名所の1つであるとともに、ガージャール朝時代の建築様式がかもし出す独特の雰囲気が漂っており、それは今なお息づいています。

 

シャルバトオグリ邸

 

シャルバトオグリ邸の敷地面積は1500平方メートルにも及び、建物の床面積は1300平方メートルです。この邸宅の構造は3階建てで、北側と南側に中庭が1つずつあります。北側の扉からこの邸宅の屋内に入るには、玄関口を通って2階に通じる数段の階段を上るという造りになっています。

また、南側の中庭の入り口は、レンガでできたアーチのある回廊となっており、以前には屋根がついていました。地上階と2階には、いくつかの客間のほかに、互いにつながっている複数の部屋があります。そして、2回の中央部には中心となる広間があります。

 

 

シャルバトオグリ邸

 

 

シャルバトオグリ邸を所有していたのは、ハージー・マジード・シャルバトオグリという、タブリーズの著名なじゅうたん商人であり、この建物は居住用として使われていました。

伝えられるところによれば、シーア派最大の追悼行事であるタースーアーとアーシュラーの際には、市場のある方向から、追悼行事の参加者の行列がやってきて、この邸宅の中庭に足を踏み入れ、追悼行事を行う傍らで、この邸宅の敷地内で接待されたとされています。すなわちこの邸宅は、シーア派3代目イマーム・ホサインを追悼する人々の行列が集結する場所だったのです。

この邸宅は、一連の修復作業が加えられた後、文化遺産・伝統工芸・観光局によりタブリーズ文化センターとなりました。現在、この邸宅はイラン学財団・東アーザルバーイジャーン支部の活動場所となっています。

シャルバトオグリ邸の南側の入り口には、石膏を下地とする浮き彫りやレンガ細工が施され、美しい門構えができています。また入り口の周辺には、2つの石段があり、遠くからやってきた人々がくつろげるようになっています。

 

タブリーズのシャルバトオグリ邸

 

 

次回もどうぞ、お楽しみに。

 

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