光の彼方への旅立ち、ルクマーン章(6)
コーラン 第31章ルクマーン章 ログマーン 第20節~第24節
慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において
第20節
「あなた方は見なかったのか。神は天にあるもの、地にあるものをあなた方のために征服させ、明らかな、また隠れた恩恵をあなた方のために出しつくした。一部の人は、何の知識も、導きも書物もないのに、神に関して議論する」(31:20)
(20) أَلَمْ تَرَوْا أَنَّ اللَّهَ سَخَّرَ لَكُمْ مَا فِي السَّمَاوَاتِ وَمَا فِي الْأَرْضِ وَأَسْبَغَ عَلَيْكُمْ نِعَمَهُ ظَاهِرَةً وَبَاطِنَةً وَمِنَ النَّاسِ مَنْ يُجَادِلُ فِي اللَّهِ بِغَيْرِ عِلْمٍ وَلَا هُدًى وَلَا كِتَابٍ مُنِيرٍ
前回の番組で、賢者ログマーンの、信条、道徳、社会の問題に関する、息子への忠告と訓戒は終わりました。この節は、神を知ることを巡る、ログマーンの訓戒の前の内容に戻り、人々に向けて次のように語っています。「神は、常にあなた方人間に奉仕させるような形で、天と地を創造し、それを計画した。天における太陽や月の存在、地球の公転や自転、あなた方人間が生きるための条件を整えた。海、地下や地上の鉱物資源、陸や海のさまざまな動物や生物、植物、農作物、これらは皆、あなた方人間のために存在する。その一部は、人間が利用でき、また別の一部は、神の措置により、人間に利益を届けるために作用する」
人間の肉体的なニーズを満たす物質的な恩恵に加え、神は、預言者を遣わし、啓典を送ることによって、人間の精神的なニーズにも注目し、それを。
第20節の教え
- 宗教的な目的を遂げるための強い意志は、神への信仰に必要なものです。それがなければ、いかなる行いも実を結びません。
- 子供に礼拝を勧めることは、両親の子供に対する責務のひとつです。
- 子供をしつける際には、さまざまな社会問題に対する責任感を持たせ、社会の醜い行い、美しい行いに関心を持たせるようにしましょう。
第21節
「また、自分の顔を[高慢さによって]人々から背けてはならない。地上を横柄な態度で歩いてはならない。まことに神は、うぬぼれた高慢な人間を愛されない」(31:21)
(21) وَإِذَا قِيلَ لَهُمُ اتَّبِعُوا مَا أَنْزَلَ اللَّهُ قَالُوا بَلْ نَتَّبِعُ مَا وَجَدْنَا عَلَيْهِ آبَاءَنَا أَوَلَوْ كَانَ الشَّيْطَانُ يَدْعُوهُمْ إِلَى عَذَابِ السَّعِيرِ
21.かれらに対し、「アッラーが下される啓示に従え。」と言うと、かれらは、「いや、わたしたちは、祖先たちの奉じたものに従う。」と言う。仮令悪魔が、かれらを炎の懲罰に招いてもよいのか。
この節で、賢者ログマーンは、一部の醜い行いに触れ、息子にそれらを禁じています。この節では、そのような誤った行動の2つの例が指摘されています。ひとつは、他人を見下し、ないがしろにすることです。一部の人は、名声や富、権力によって、そのような勘違いに陥ります。彼らは本質的に、自分は他人よりも優れていると考えるのです。
ログマーンが指摘する2つ目の例は、人々の間での歩き方です。一部の人は、謙虚ではなく、まるで全ての人の主人であるかのような横柄な態度で道を歩きます。
第21節の教え
- 人々に柔和な態度で接することは、賢者ログマーンが息子に勧めていることのひとつです。神は、このような忠告によって、実際、全ての人に、このような好ましい行いを勧めています。
- 親は子供が幼いうちから、高慢さなどの道徳的な病に陥らないよう、子供を教育する必要があります。
第22節
「誰でも善行に励み、真心を尽くしてアッラーに傾倒する者は、堅固な取っ手を確り握った者である。凡ての事の終末はアッラーに(帰着するので)ある。
「歩く際には穏やかに歩き、声を落としなさい。明らかに、最もわずらわしい音とは、ロバの鳴き声である」(31:22)
(22) وَمَنْ يُسْلِمْ وَجْهَهُ إِلَى اللَّهِ وَهُوَ مُحْسِنٌ فَقَدِ اسْتَمْسَكَ بِالْعُرْوَةِ الْوُثْقَى وَإِلَى اللَّهِ عَاقِبَةُ الْأُمُورِ
第23節
「誰が信仰しなくても、その不信心に悩まされてはならない。かれらはわれの許に帰る。その時われは、その行ったことをかれらに告げ知らせるであろう。本当にアッラーは(人間が)胸に抱くことを熟知なされる。」
(23) وَمَنْ كَفَرَ فَلَا يَحْزُنْكَ كُفْرُهُ إِلَيْنَا مَرْجِعُهُمْ فَنُنَبِّئُهُمْ بِمَا عَمِلُوا إِنَّ اللَّهَ عَلِيمٌ بِذَاتِ الصُّدُورِ
第24節
「われはしばらくかれらに楽しませ、それから手荒い懲罰に駆り立てるであろう。」(31:24)
(24)نُمَتِّعُهُمْ قَلِيلًا ثُمَّ نَضْطَرُّهُمْ إِلَى عَذَابٍ غَلِيظٍ
ログマーンは、息子に対して道徳的に醜い2つの行いから遠ざかるようにとした後、この節の中で、2つの道徳的に美しい行為を勧め、次のように語っています。「人生においては中庸を守りなさい。人生という街道において、節度を超えてはならない。頑張りすぎたり、怠けすぎたりしてはいけない。速すぎても遅すぎてもいけない。自然かつ穏やかに歩きなさい」
また行動だけでなく、言葉においても中庸を守る必要があります。ログマーンは次のように語っています。「他人に聞こえないように、小さすぎる声で話してもならないし、他人に苦痛を与えるような、大きすぎる声で話してもならない。人々があなたの大きな声を気に入り、そのためにあなたの言葉を受け入れると考えるべきではない。人々にとって、ロバの鳴き声は醜く耳障りな声である。なぜなら、自然の域を超えているからだ」
第22節から24節の教え
- 両親が子供に教えるべき事柄のひとつは、歩き方や話し方において、社会的な礼儀を守ることです。
- 過激にならず、中庸を守ることは、神がコーランの中で推奨している事柄です。
- 大声を上げることは、神から非難される好ましくない行いです。声を落とし、無意味なさけび声を避け、穏やかな声で話しをする必要があります。