9月 16, 2019 13:55 Asia/Tokyo
  • ファーラービー
    ファーラービー

イランやイラン国外のあらゆる学者や歴史家は、ファーラービーがイラン系であることに疑いはないとしてこれを強調し、ソグド語やペルシャ語によって書かれた文書など、正確で信頼ある資料により、ファーラービーがトルコ系であるとする人物の主張を否定しています。また、ファーラービーが様々な学問において、他に類がないほど優れている人物であり、当時の大半の学問に関する著作を執筆したことにも触れました。彼は、哲学を再興し、イスラム哲学の創始者となりました。ファーラービーの見解では、哲学の命題とは存在の絶対性であるとしています。ファーラービーの哲学はイスラム哲学ですが、ギリシャ哲学、とりわけアリストテレス哲学の影響を受けています。

ファーラービーの見解では、哲学者とは社会の長であり、神が世界を運営しているように、哲学者も社会的な事柄に秩序を与えます。ファーラービーは、政治哲学に多大な関心を持っていました。彼は、社会的、政治的な問題に多大な関心を持ち、このため哲学と政治的、社会的な問題を結びつけ、これらの問題に関する多くの本を執筆しました。ファーラービーの見解では、政治は倫理的なものと公民的なものに分けられるとしています。倫理的な政治は、神を中心とし、来世や神の啓示への信仰などが含まれます。一方、公民的な政治の基本は、社会的な必要性、そして国民一人ひとりの参加や協力であるとしています。興味深いのは、ファーラービーが一般市民の幸福は、公民的な政治と倫理的な政治の一致によるとしているところです。イランの哲学者ディーナーニー博士は、次のように述べています。「ファーラービーは、社会問題や人生における問題が、神とどのような関係を持つかを、人々に知らしめようとしていた。彼の思想の潮流は、物理学から形而上学へ、また形而上学から物理学へという流れである。このため、彼は文化的な哲学者とされている」。

ファーラービーは文化的な関心を持っており、この関心は多くの作品の中に見られます。イスラム教徒の哲学者はみな、社会について語っていますが、今日までの1400年の間のイスラム世界では、ファーラービーほど社会的な問題について語った哲学者は存在しません。

ファーラービーは、さまざまな学問に関する100以上の著作を執筆したと言われています。これらの著作の多くは、世界の人々に読まれ、彼らの記憶に刻まれることとなりました。哲学、論理学、形而上学はファーラービーの思想や著作において、最も重要な学問の3つとすることができます。

哲学の分野において、ファーラービーは初のイスラム教徒の哲学者というべきであり、多大な苦労により、アリストテレスやプラトンの著作を完全に理解し、自らの著作や論説の中で彼らの思想の説明や批評を行いました。世界の人々がこれらの哲学者の業績を改めて知ったのは、実際、ファーラービーが持つ知識や努力に負うところが大きいのです。彼はギリシャ哲学に親しみましたが、何事も体験し熟考する人であった彼は、ギリシャの哲人たちの言葉や表現のみで満足することはありませんでした。彼は哲学により、たとえプラトンやアリストテレスの世界との類似性はあっても、決してそれらと取り違えられてはならない世界を描いたのです。

ファーラービーは、ギリシャ人から哲学を学びましたが、ファーラービーの見解では、ギリシャ哲学の特性は、イスラムの教えとは完全に無関係ではない、と結論付けられるようになりました。ファーラービーは論理、自然、倫理、形而上学に関するアリストテレス、プラトンの見解を学び、その後これらをイスラム哲学の体系の枠内で適切に系統立てました。ファーラービーの思想の基本は、次のようなものです、即ち、真の哲学とはひとつしかなく、哲学の偉人たちが対立することはできず、その理由は彼らの目的が1つであって、彼らが真理の追求において団結していることにある、というものです。

ファーラービーは多くの著書の中で、哲学を人々の信仰に近づけようとしており、言い換えるなら、哲学の原理によって宗教信仰を迷信や妄想から遠ざけようと努力していました。彼はたとえば天地創造の開始において、哲学は宗教的な情報よりも正確であり、神の唯一性により近いことを証明しています。さらに、ファーラービーは哲学の普及のために、そのほかの学問を知ることがすべての人にとって必要であるとして、これらを宗教的な用語や表現に近づけようとしました。こういった作業は、ファーラービー以降では、10世紀中盤、哲学者のグループである、アフヴァン・アルサファーによって完全な形で多くの論文の中で行われました。イランの哲学研究者ダーヴァリー博士は著書『ファーラービー、イスラム哲学の創始者』の中で、次のような見解を記しています。

「ファーラービーは哲学において、解釈を行える高い地位に至った。アリストテレスのように論理学の教師だっただけでなく、イスラム学をはじめとする様々な学問を分類し、それらすべてに対して論理的な側面を持たせた。ファーラービーは実際、哲学を刷新したのであり、イスラム哲学の創始者である。彼の見解では、哲学の真実は唯一の神を知ることであり、この点では神に対する信仰と神の唯一性を基盤とする宗教との相違は存在しない。哲学と宗教の唯一の違いは本質や目的にあるのではなく、方法論的なところにある。まずひとつは捉え方であり、もうひとつはイメージの力である。ファーラービーが言うところの完全な人間とはまさに、預言者やイマームといった存在である」。

ファーラービーは論理に関する議論をも特別に重視しており、これに関する重要な著作を記しています。彼は誰かが論理の重要性や位置づけを否定したとき、論理を確固たるものにし、学問をする人間が論理に対しどのようなニーズを有し、それによりどのような利益を得られるかを示そうとしていました。ファーラービーは、論理により知性が秩序立てられ、また論理を妄想や誤りに陥ったときに、われわれを正しい道に導く技術であるとしています。

ファーラービーは理性を、能動的理性と受動的理性の2つにわけています。彼によると、人々は能動的理性の中では間違いを犯すことはなく、すべての人々は総体が一部より大きいことを認めています。しかし受動的理性は、思考や類推によって理解されるもので、この中で論理の必要性を感じることになります。ファーラービーは論理学を文法学によって類推し、「文法と単語が互いに関係しているように、論理は理性と関係を持っている」と語っています。

ファーラービーが注目し、多くの著作の中で言及した重要な学問分野に、形而上学があります。ファーラービーは、哲学と神の唯一性を一致させるために行った努力により、宗教に反しない法則や体系を獲得し、哲学者がそれを宗教の内面とみなすほどの下地を整えました。アリストテレスが哲学の真髄とみなした神学も、同じような形でアリストテレスの書・形而上学に記され、残されていますが、ファーラービーはこれを変化させました。彼によれば、存在物は最も完成度の低い状態から完成を目指してはいるものの、何者も神のレベルである完全の域に到達することはできない、ということです。

 

 


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