9月 18, 2019 13:55 Asia/Tokyo
  • ハーラズミー
    ハーラズミー

アメリカの歴史家サートゥンは、西暦の9世紀前半の時代をハーラズミーの時代と名づけ、またフランスの歴史家マールは、彼について次のように記しています。「ハーラズミーが、新しいヨーロッパの人々にとって代数学の教師だったという歴史的事実は、今や否定できない」。

イランでは、ハーラズミー・フェスティバルという学術的な祭典が催されていますが、これはハーラズミーの業績を称えるために行われており、児童や生徒を対象としたハーラズミー青少年フェスティバルと、大学生を対象としたハーラズミー国際フェスティバルの2つの祭典が開催されています。また、西暦の10月26日に当たるイラン暦のアーバーン月4日は、ハーラズミーを称賛するため、代数学の日と呼ばれています。

ハーラズミーの学術的な名声は、数学、とりわけ代数学の業績にからくるもので、彼は「代数学の父」と呼ばれています。『約分と消約の計算の書』のしばらく後に記された、ハーラズミーの著作のひとつは『インドの数の計算法』の序文となる論文で、位取りによる記数法の原則を秩序立てて説明した初の著作となっています。この本については、ラテン語による翻訳のみが残されており、その類まれな写本はイギリス・ロンドンのケンブリッジ大学に保管されています。

ハーラズミーは『インドの数の計算法』の中で、あらゆる任意の数を、十進法を用いてゼロを空いている桁に使用して表す方法を示しています。彼はさらに、引き算と足し算、掛け算、割り算、整数の平方根について説明しているのです。ハーラズミーはルートとして知られる平方根の計算を、インドの5世紀の数学者、天文学者のアリヤバータの方法で解いています。このハーラズミーの論文は、チェスターのロバートという12世紀のイギリス人によって、ラテン語に翻訳されました。

ハーラズミーの業績の中で重要なもののひとつは、インドとギリシャの学問の融合で、この業績はイスラム世界で初めて成し遂げられました。この時代、イランやイスラム世界はヨーロッパとインドという東西の世界をつなぐ場所でした。人間の移動や、それに伴う文化と知識の伝播に立ちはだかる困難な状況や地理的な距離に注目すると、そのような時代におけるこの偉大な貢献の重要性が現代人にとってより明らかになります。

ハーラズミーはそれ以外の学問、とりわけ天文学においても興味深い有益な業績を残しました。彼は、アストロラーベとよばれる天体観測機に関する2つの本を記しており、天文表を作成しました。またプトレマイオスの天文図を修正しています。ハーラズミーの天文学に関する著作には、インドの天文図に関する『インドとスィンドの天文表』があります。この天文表の原本はサンスクリット語で書かれ、アッバース朝2代目カリフ・マンスールの時代に、インドの使節団によりイスラム世界に持ち込まれた天文学の書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』です。さらに、この『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』のアラビア語訳は、『スィンドヒンド』と呼ばれていました。

ハーラズミーによる『インドとスィンドの天文表』の翻訳は、8世紀のイランの天文学者ファザーリやブン・ターリークの著作を参考にしたものです。この本が現代において重要なのは、完全な形で私たちに残されている、アラビア語によるはじめての天文学の本、という点です。ハーラズミーは、天文表を作成する中で、『スィンドヒンド』やプトレマイオスの天文図に依拠しただけでなく、イラン人の天文家の著作をも参照し、自身の見解と照らし合わせながら利用していました。ハーラズミーの天文表を頻繁に使用した、最も重要な人物とは、アブーレイハーン・ビールーニーで、彼はハーラズミーの天文表の分析に関する著作を記しています。この著作は、ラテン語に翻訳されており、この翻訳書では、数学の構造や変数の基礎が検討されており、数学的な情報に基づいてこの天文表の原則や源を明らかにすることができます。

天文観測儀アストロラーベに関するハーラズミーの2つの著作のタイトルは、大体同じようなものです。1冊はアストロラーベの構造に関するもので、もう一つは天体観測を行う上でのアストロラーベの使用法に関するものです。これらの本は、この分野について書かれた他の多くの書物と同じような内容が書かれていたはずであり、もし新たな学説を提示していたとしても、現在私たちはそれを知ることが出来ません。それは、この2つの著作と、日時計について書かれたもうひとつのハーラズミーの著作については、アラビア語の原文はおろか、他の言語への翻訳すら全く現存していない、という事実しかないからです。しかし、この2つの著作が確かに存在したと主張する理由は、ハーラズミーの同時代に生きていた人物が、自らの著作の中でハーラズミーのこの2つの作品の原本を参照したと述べていることによります。

ハーラズミーの日時計に関する本は、礼拝の時刻を確認するために記されましたが、これは後に球面三角法の計算式の基礎となりました。ハーラズミーは天文学者、地理学者、歴史家としても、ヘブライ暦に関する本をまとめ、正確な見解を提示しました。この文献は、現在インド東部のバンキプールの図書館に保管されており、このイランの偉大な学者が、アジアだけでなく、西側世界についても目を向けていたことが理解できます。

ハーラズミーは歴史家、地理学者としても知られていました。その理由は、『大地の姿』という著作がある他、『歴史』という書物が、現存していないものの、ハーラズミーのものとされていることによります。この本では、様々な地区や都市の緯度と経度が記されており、それぞれの章において色々な場所が「7つの領域」に基づいて整理されています。この領域区分は、彼以前の時代にも国境区分として採用されていました。プトレマイオスの地理書に出てくる多くの都市の緯度と経度は、ハーラズミーのこの著作の中にも見ることができますが、ハーラズミーが算出した値とプトレマイオスが算出した値は全く同一の場合もあれば、中には僅かな誤差のある場合もあります。この本はカルロ・ナリーノという人物によって、イタリア語に翻訳されています。ナリーノによると、アッバース朝のカリフ・マームーンの指示で作成されたハーラズミーの地図は極めて精密で、プトレマイオスのそれよりも正確であり、ハーラズミー自身が地図製作の第1人者の1人であったことは十分に考えられる、ということです。

いずれにせよ、ハーラズミーの文献から発見された地図は、いくつかの点で、特にイスラム教徒が統治していた場所については、プトレマイオスの地図よりも正確です。ハーラズミーの地図が優れていた主な点として、地中海がプトレマイオスの地図よりも小さいことが挙げられます。この『大地地の姿』は、6つの部分に分けられており、都市や山、海、島、川など、地理学的な中心地の名前が記されたリストが記されています。

確かに、ハーラズミーが執筆したとされる歴史書は現存していませんが、数人の歴史家は、この書物をイスラム時代の出来事に関して信頼できる文献であると伝えています。ハーラズミーはこの歴史書で、天文学の原則を実用的な学問とするために、歴史の解釈を行いました。たとえば、イスラムの預言者ムハンマドの生誕日が、天文学的な法則に基づき、明らかにされています。著名な歴史家のマスウーディーは、ハーラズミーを優れた歴史家だとしており、またほかの数名の歴史家も彼の著作を資料として参照しています。

 

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