12月 31, 2019 13:49 Asia/Tokyo
  • アリー・ブン・ホジュヴィーリー
    アリー・ブン・ホジュヴィーリー

今回も11世紀のイランの神秘主義思想家ホジュヴィーリーについてお話しすることにしましょう。

ホジュヴィーリーは神秘主義思想において。イランとインドで多くの栄光と支持者を得ています。それでは最後までご一緒ください。

前回までお話したように、ホジュヴィーリーは現在のアフガニスタンのガズナ近郊に生まれ、初等教育を学んだ後、学問を求めて長い旅を始め、多くの師に弟子入りしました。最後は現在のパキスタンのラホールに落ち着き、そこで『隠されたるものの開示』という作品を執筆しました。

これまで、5章を含む『隠されたるものの開示』についてお話してまいりました。この作品は様々な部分に分かれていますが、人間と神の関係、人間と自身の欲望の相互関係の2つを基本的なテーマにしており、本のそれぞれの部分は、独立していながらも共に結びついています。それでは、この作品の重要な要素の一部についてお話しすることにしましょう。

『隠されたるものの開示』で重要となる部分のひとつは、多くの神秘主義思想の概念を伝える責務を有する説話です。これらは、内容を説明するために、様々な部分を調和させる上での、ホジュヴィーリーの能力を示しています。

神秘主義の説話は、ある種の説話文学であり、ペルシャ語文学の古典作品においては、重要な位置を占めています。ホジュヴィーリーのような神秘主義文学者は、物語を活用して、自身の教えをよりわかりやすい形で読者に伝えています。彼らは神秘主義思想を覚えやすく、影響力ある言葉で伝えようとしました。文芸評論家によれば、彼らはこれによって弟子を獲得し、弟子を精神的に強化することができたということです。

ホジュヴィーリーは『隠されたるものの開示』の序文で、説話の説明のために、厳選された、という意味の単語を使用しています。この単語は本の内容を理解する中で読者を助け、神秘主義の教えや著者の見解をより明らかにしています。この本の説話は、ある種教育的で、宗教的な偉人、時には一般的な人々について書かれています。

ホジュヴィーリーは一部の内容やテーマを強調していることから、ある話は出来事や人物などわずかな変化を加えられ、本の中で繰り返されています。こういった短い説話は人物も出来事も少なく、はじめと終わりも近くなっているため、その内容もより簡単になっています。このため、『隠されたるものの開示』は短い、簡潔なたとえ話により、簡潔な文学の傑作とされています。

読者に大きな影響を与える、魅力ある説話や一部の出来事を選んでいることで、ホジュヴィーリーの説話は現代の文学におけるミニマリズムに近づいています。

つまり、ホジュヴィーリーの多くの説話は、様々な場面や神秘主義者、あるいは英雄が直面する出来事を扱っています。この出来事はしばしば、英雄の意志を越えたものです。その場面を切り抜けています。一方で、それをフィクションとすることはできません。その話においては、その出来事は個人の生活を全面的に関係している情報となっているからです。

 

『隠されたるものの開示』の短い説話のプロットは単純です。説話の構成を見ると、プロットはまとまっており、原因と結果によって、つながりがあります。また、長い説話のプロットは、通常、複雑です。しかし、大変短い説話のプロットは、単純なものです。この種の説話のはじめと終わりは非常に近いため、構成のすべての要素が存在するわけではありません。

大変短い説話は、話に注目させるために、魅力的な物語が必要です。このため、通常書き手は、まずはじめに適切な場面を選び、その後、最も魅力的な場面をを語ります。もし、読者に対してより強い印象を与えられれば、その説話は物語として成功したものだと考えられます。

『隠されたるものの開示』の説話も、構造の点から少し異なっているものの、今日の短篇小説と似ています。この説話では、出来事の数は少なく、根本となる出来事について集中的に語られることになります。通常は、ある個人の人生における、栄光の時期について述べられています。

ホジュヴィーリーは自身の説話を語るために、様々な形式を活用しています。このため、『隠されたるものの開示』のプロットは、画一化されたものではありません。しばしば、この種の説話は、広がることなく、終わりに近づいたり、序の部分がなく本題から始まることや、クライマックスの部分で終わることもあります。一部では、序の部分で本論を語ることで、基本的なバランスを欠いています。

また、前置きなく物語が始まるため、突然登場人物が出てくることで、問題が生じています。文芸評論家は、神秘主義的な言説のスタイルの中で受け入れられているこのプロセスが、無意識的に各説話の部分を結び付けているとしています。

ホジュヴィーリーは説話を語る中で、あらゆる要素を活用していますが、いずれの説話においても、特定の形式を利用しています。彼はあらゆる説話について、プロットを活用して、その話題を読みごたえあるものにしています。

例えば、説話の中には、通常ではありえない事件が見られますが、通常、物語の危機的な場面では、奇跡が起こる下地が用意されます。イラン北部・アーモルのバザールでらくだが泥の中にはまった子供の話では、子供の祈りや人々の手助けが効果がなく、肉屋のムハンマドが神に助けを求めたとき、奇跡的な場面に遭遇します。「このらくだを救ってほしい、もし、救うつもりがないのなら、なぜ肉屋の心を子供に同情させたのだろうか」

神秘主義的な説話では、奇跡は通常、物語のクライマックスに起こります。しかし、物語の雰囲気に注目すると、それは、ホジュヴィーリーの語りかける相手が神秘主義者だということから、受容可能なものなのです。なぜなら、超常的な出来事は、表面上は神秘主義者によるものの、原則的には、神の意志により起こるものだからです。

ホジュヴィーリーの説話における締めは、精神的な成果に結びついています。通常、奇跡などの超常現象が起きた後は、登場人物の人格に変化が生じ、後悔や恥じ入るなどといった様々な心情変化が伴います。

 

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