4月 15, 2016 03:34 Asia/Tokyo
  • イランの神秘主義詩人アッタールの記念日に寄せてーペルシャ文学のヨーロッパ諸国への影響

イランの暦ファルヴァルディーン月25日に当たる今年の4月13日は、12世紀から13世紀の時代を生きたイランの高名な神秘主義詩人アッタール・ネイシャーブーリーの記念日とされています。


この日が制定された背景には、アッタールがペルシャ語の詩や抒情詩の分野で高く位置づけられ、彼の神秘主義思想がイラン・イスラム神秘主義の形成において特別な位置づけにあることが挙げられます。


今夜の番組では、ペルシャ文学やイランの大詩人がヨーロッパの文学に与えた影響について考えることにいたしましょう。


 


イラン神秘主義詩人アッタールとその作品について


アッタールは、ペルシャ語の神秘主義文学の3大詩人の1人であり、彼の著作である『鳥の言葉』は世界でも神秘主義文学の最高傑作の1つとされています。おそらく、イスラム世界での神秘主義的な内容の韻文作品の中では、13世紀のモウラヴィーの作品である『精神的マスナヴィー』以外には、アッタールのこの作品に匹敵する作品はないかもしれません。アッタールは、神秘主義文学における形式と概念の双方において多くの新しいアイデアを生み出しました。彼の作品を紐解いてみると、そうした創意工夫を垣間見ることができます。


アッタールは、『鳥の言葉』という名著において鳥たちを紹介し、彼らの預言者たちとの関係を説明した後、人間は自らを律することができれば最高の極致に到達すると結論付けています。彼はまた、『災厄の書』、『四行詩選集』、『神秘主義聖者列伝』『神の書』などの作品も残しています。


 


 


比較文学におけるイランの神秘主義詩人


イスラム神秘主義は、イスラム思想の潮流の1つとして常に西洋の文化や文学に影響を与えてきました。中世、そしてルネサンス期以降、ヨーロッパ世界はペルシャ文学を通じてイスラム神秘主義と接触することになります。今日、世界の思想家は文学評論の一派である比較文学により、各国の文学を比較することで、それらが相互にどれほど影響しあったかを把握しています。比較文学は、ある国の文学や文化の他国の文学に対する作用や反響の範囲を検討するものであり、そうした影響をその国の作家や詩人の他国への影響を検討することで明らかにしていきます。それは例えば、ドイツの詩人ゲーテに対するイランの詩人ハーフェズの影響、ビクトル・ユーゴーに対するアッタールの影響、ダンテに対するサナーイーとアッタールの影響などです。こうした比較文学においては、翻訳が極めて重要な役割を果たすことから、その作品と類似した作品を検討する際には、その作品が編纂された時代に加えて、その作品の外国語への翻訳版や翻訳された時代も注目の対象となります。


 


ヨーロッパ世界とイラン文学の接触の歴史


ヨーロッパ世界とペルシャ文学との接触は、十字軍戦争にさかのぼります。しかし、文学研究者の見解では、アジアの文学との接触やその翻訳という動向の拡大、そして繁栄の時代は18世紀とされています。18世紀から19世紀には、特にサアディやハーフェズ、ハイヤーム、アッタール、ネザーミー、フェルドウスィー、ジャーミー、ナーセルホスロー、バーバーターヘルなどのイランの大詩人の詩集をはじめとする、ペルシャ文学の大傑作が英語やフランス語、ドイツ語などのヨーロッパの諸言語に翻訳されました。これらの翻訳書の出版により、ヨーロッパの人々が豊かなペルシャ文学の存在に気づき、これまでにないほどヨーロッパ人をイランやその文学へと惹きつけたのです。


 


イラン・ペルシャ文学の影響を受けたヨーロッパ文学の例


過去数百年間、ヨーロッパ諸国においてイランほど数多くの人々の心を魅了した国はないと断言できます。高潔なペルシャ文学やその思想の影響のもと、イギリス、ドイツ、フランスでは世界的な文学の傑作とされる作品が生まれました。そうした作品には、ゲーテの『西東詩集』、モンテスキューの『ペルシア人の手紙』、ピエール・ロティのペルシャ旅行記『イスファハーンへ』、マドレーヌ・ド・スキュデリの『キュロス大王』、マシュー・アーノルドの『ロスタムとソフラーブ』などがあります。このことから、まさにイランの詩や文学、神秘主義がヨーロッパの文学を豊かにしたと言っても過言ではありません。


ヨーロッパ文学におけるアジア文学の主な影響は、ヨーロッパに対するペルシャ文学やイランの大詩人の作品の影響に負うところが多くなっています。それは、ヨーロッパの詩人や作家の一部はアジアに旅行せずに、アジアに存在する心にしみる神話や美しい風景、市場、ドームやミナレットを、ペルシャ語の詩において実物以上に美しいものとして目の当たりにし、それらからインスピレーションを受けて興味深い作品を生み出しているからです。この点で、ハーフェズ、モウラヴィー、サアディ、アッタール、サナーイーは最も影響力の大きいイランの思想家だと言えます。特に、アッタールの作品に出てくる伝説の不死鳥スィーモルグは、アジアを越えてヨーロッパまで旅を続けています。


 


ダンテの『神曲』にみるアッタールの影響


ダンテの代表作『神曲』と、サナーイーの作品『神の僕たちの来世への旅立ち』はいずれも、人間の死後の世界と、霊魂の奥深くに踏み込んでいく精神的な旅の2つの見本となっています。ダンテの『神曲』の内容は、地獄から天国までにいたる人間の精神的な遍歴であり、誰でも人間としての最高の極致に達したいならば、旅の荷物には清らかさと自己浄化のための糧を入れて置かなければならないことを物語っています。しかし、この作品の評論家は、ダンテがこの世界的な名作を生み出す中で、アジアの文学の影響を受け、サナーイーの『神の僕たちの来世への旅立ち』、アッタールの『鳥の言葉』、そして『災厄の書』の内容を知っており、その作品の構成や作風の面でこれらの作品を模範としていることには疑いがない、としています。


ダンテの『神曲』は、象徴的な言葉で書かれた神秘主義的、哲学的な内容の文学作品であり、超自然的で崇高な空想の世界におけるダンテ・アリギエーリの行状を物語っています。ダンテがこの作品を記したのは、フィレンツェを追放されてから20年間にわたり流浪の生活をおくっていた時のことでした。イギリスのオリエント学者ニコルソンによりますと、ダンテはイランの詩人サナーイーに倣っており、『神曲』に比べてサナーイーの作品である『神の僕の来世への旅立ち』の方が年代的に古いことから、ダンテがサナーイーを模倣したとする学説が強まっています。


『神曲』における象徴的な情景の一部は、アッタールの名作『鳥の言葉』に見られます。この作品の天国の部において、ダンテは恋人のベアトリーチェと共に天国の段階を火星から木星へと一段階上るとき、全てを審判する数千の王が形作る鷲のような存在を目にし、一言の言葉を発します。


スペイン語圏の詩人や哲学者が見るアッタール


アルゼンチンの詩人ホルヘ・ルイス・ボルヘスは、この象徴的な情景はアッタールの『鳥の言葉』を連想させると考えています。ところで、ダンテが『神曲』において描く鷲と、アッタールが描く不死鳥スィーモルグについては違いがあります。『神曲』では、鷲を形成している人々が自己のアイデンティティを失わないのに対し、『鳥の言葉』ではスィーモルグを見つめる鳥たちが、実際にスィーモルグの地位を理解することで団結し、自らの存在を見つめることになっています。


ホルヘ・ルイス・ボルヘスは、イスラムの聖典コーランに出てくる短い物語や、アラビアンナイトとして知られる千一夜物語、そしてアッタールの『鳥の言葉』から大きな影響を受けています。彼は、この作品を南米諸国の作家に紹介しており、自らの著作『伝奇集』の中の『八岐の園』(やまたのその)に出てくる「アル・ムターシムを求めて」という物語において、アッタールについて明言しています。また、彼の父親の友人で偉大な神秘主義者だったマセドニア・フェルナンデスは、モウラヴィーの師匠シャムス・タブリーズィーと多くの共通点を有しており、晩年にはシャムスと同様にある日突然姿をくらましたものの、後に発見されるという運命をたどっています。フェルナンデスとボルヘスの関係は、シャムスとその弟子モウラヴィーの関係と類似していました。フェルナンデスはアラビア語に精通していて、彼は13世紀の思想家イブン・アラビーの作品をスペイン語により注釈しています。モウラヴィーとアッタールの作品は、スペインでも翻訳されており、同国でもこの2人の偉大なペルシャ詩人の影響が見られます。


アッタールはまた、スペインの哲学者ウナムーノとも数多くの共通点を有しています。永遠性という概念に関する彼の思想は、アッタールの思想の影響を受けています。記憶に留まろうとする人間の努力についてウナムーノが提唱する学説は、永遠性や存続に関するアッタールの記述に等しく、この点は大いに研究されるべき余地があります。


 


イランの詩人の影響を受けたゲーテ


ドイツの詩人ゲーテも、イスラム神秘主義そしてイランの詩人ハーフェズの強い影響を受けました。いずれの研究者も、ゲーテがその著作『西東詩集』においてイランの神秘主義哲学的な雰囲気の影響を強く受けていることを認めています。ゲーテがペルシャ文学とイランの神秘主義の影響を受けていたことから、彼の作品にはペルシャ語の語彙が数多く使用されており、しかもこの作品の一部にはペルシャ語のタイトルがつけられています。ゲーテは、この詩集の「哲学の巻」の部分で、アッタールの「助言の書」やサアディの言葉を引用しており、自分がハーフェズのほかにもアッタールをはじめとするペルシャ文学の大文豪の作品からも影響を受けたことを認めています。


フランスにおけるペルシャ文学の影響


19世紀には、イランの神秘主義はフランスで特別に位置づけられるようになり、この時代におけるフランスの詩人や思想家の思想面での変化は、イランの神秘主義者に負うところが大きくなっています。19世紀全体を通して、アッタールの『鳥の言葉』、『忠言の書』、『神秘主義聖者列伝』、さらにはジャーミー、ネザーミー、バーバーターヘル、モウラヴィーの詩集がフランス語に翻訳されました。こうした動向は20世紀に入っても続き、その中でペルシャ語による多くの文学作品が翻訳されています。当時、フランスの詩人たちは神秘主義的な内容のペルシャ語の詩に関する十分な資料を有しており、自分たちが詩作する上でペルシャ語の詩からヒントを得ていました。


ビクトル・ユーゴーも、『諸世紀の伝説』という著作において、意識的にアッタールとその作品である『鳥の言葉』の助けを借りています。韻文作品である『鳥の言葉』は、鳥たちの集団が自分たちの王である伝説の鳥・スィーモルグを見つけ出すために、ヤツガシラの案内により危険の多い旅に出るというストーリーです。彼らは、旅の途中で恐ろしい7つの段階を超えます。これらの7つの段階を経て、スィーモルグを探していた彼らは遂に、自分たちがそのスィーモルグであることを悟ります。一方、ユーゴーによる『諸世紀の伝説』では、ユーゴー自身がこれと全く同じ運命をたどります。最初に、詩人ユーゴーが遠くから神について語っている複数の声を聞きつけます。最終的にさまざまな鳥たちは、自分の目的地に到着するために、様々な道を選んでゆきます。


フランスの詩人・小説家で、シュルレアリスム文学を開拓したルイ・アラゴンの詩にも、特にアッタールの思想を初めとする、イラン・イスラム神秘主義の影響が見られます。彼は、『エルザ』という詩集を著しており、この中で彼はイランの神秘主義詩人ジャーミーの作品『ライラとマジヌーン』、そして、アッタールの『鳥の言葉』の影響を強く受けています。アラゴンは、神秘主義者であり、物質的な世界の理想と共産主義思想による偽りの魅力の中で、スィーモルグの方向に向かって飛び立ちたいという思いに駆られていたのです。


 


ペルシャ語とペルシャ文学は、アッタールのような偉人の思想に依拠することで、世界の偉大な思想家の心や理念と世界の文学に影響を及ぼし、その透明な文学の泉の水により、世界の文学を潤したと言えるでしょう。