6月 16, 2020 12:53 Asia/Tokyo
  • ムハンマド・ビン・ジャリール・タバリー
    ムハンマド・ビン・ジャリール・タバリー

今夜は前回につづいて、歴史家でコーラン解釈者、哲学者のタバリーについてお話しましょう。

前回お話したように、タバリーは838年、イラン北部のアーモルに生まれました。彼はその聡明さにより、大変幼くして初等教育を学び終えてしまいました。タバリーは12歳のころから、父親に奨励され、より多くの学問を学ぶため、旅をしました。

タバリーは知識を学ぶため、イラン中部のレイやイラクのバグダッド、シリア、エジプトに一時期滞在し、哲学、イスラム法学、ハディース学の高名な大家に学び、バグダッドで生涯を終えました。タバリーはバグダッドでイスラム法学、歴史、ハディース学を修め、教育活動も行い、また貴重な著作を記しました。タバリーは921年2月、バグダッドにて死去し、自宅に埋葬されました。

また、タバリーの重要な著作のひとつに、「タバリー史」として知られる『諸使徒と諸王の歴史』という貴重な歴史書があります。この著作は、世界史の部分とイスラム史の2つの部分に分かれています。世界史については、前回の番組でお話しました。タバリーは第2部を年代順にしるしました。本日は、この第2部についてお話します。

『諸使徒と諸王の歴史』の第2部では、預言者ムハンマドのヒジュラ、聖遷から、830年までの出来事が記されています。彼はヒジュラ暦の年毎に、彼が語る価値があると考えた出来事を記載しており、出来事が長期にわたる場合、それを年にそって記し、その後、適切な場所で詳細に述べています。

タバリーは歴史書を書く中で、はじめに、歴史的な出来事を記した後、その引用元を記しています。この引用元はさまざまで、時には信頼できる彼の師や、時にはその場にいた、あるいはそれを知っている公正な人物、時には資料として読んだ本となっています。また、ベドウィンの一団や、ほかの都市から来た人物も、信用できる人々とされています。

タバリーが、特に2部を記す上で用いた方法とは、選び取る、ハディース学者の方法です。この方法により、歴史的な事実を語り、その引用元を記しています。引用元を記す中で、その主な人物として預言者ムハンマドの名を上げています。タバリーは引用元自体に干渉したり、見解を表明したりせずに、その内容を語り、それを記しています。

タバリーはたいていの場合、自身の見解を表明していません。この形式は、タバリーが多くの本で用いている形式です。タバリーは自身の歴史書の中で、時々本の名前を記したり、あるいは本の名前でなく、著者名を伝えています。彼は、完全な誠実さにより、そして類を見ない形式により、あらゆる出来事に関する多くの伝承を伝え、このようにして、イスラムの文献を散逸の危機から守りました。

イランの名声、世界的な栄誉は、IRIB国際放送ラジオ日本語よりお届けしています。今夜の番組では、9世紀の歴史家タバリーについてお話しています。

タバリーはまた、ハディース学者であるため、自身の作品の中で、完全に過去の文献に依拠していました。研究者によれば、彼はハディース学に基づいた歴史という新たな形式の基礎を築きました。また、彼によって、出来事が発生した年を追う学派が、イスラムの歴史学派に出現しました。タバリーは、歴史的な出来事を、引用元を記載する形で記述することをはじめています。このため、彼の伝承の記述は、大変大きな注目を受け、伝承の中で、著書名を記す必要がなく、その代わりに彼の名前が記されていました。

タバリーは自身の歴史書の中で、自身の解釈学を完全なものにしようとしていました。タバリーの見解において、伝承を語る基礎とは、公正さや文献の正しさという点での語り手への信用です。この形式では、タバリーは自著の中で正確さや信用性を考慮しているのです。

タバリーは自身の形式の中で、時には理性的でないものも含まれる、多くの伝承に向き合っていますが、決してその内容の一片についても、批評を加えてはいません。つまり、彼にとっては、その文献が正しければ、それで十分なのです。その多くは預言者たちに関係するものであり、その中には秘められた言葉が語られ、そこにおいては理性は何の意味も持ちません。

タバリーの歴史的見解と、彼の歴史的叙述の形式を見ると、イスラム法学を学ぶハディース学者としての流儀や研究の影響がうかがえます。彼は歴史書を記す中で、2つの基本的な思想に依拠しています。そのひとつは預言者たちの氏名が同じであること、もうひとつは、経験と、その時代との整合性です。

タバリーの見解において、出来事の価値とは、その典拠がどれだけ有力なものかに関係しています。その典拠がその出来事に近いものほど、より大きな重要性を有しています。このように、彼の叙述の合法性から、彼の歴史書にしか記されていない、新たな歴史的な伝承を知ることができるのです。

伝承は、それが伝えられていく中で、さまざまな要因により、変化していきます。このため、それらを時代ごとに調査、批評した後、それが正しいものか、正確なものかという判断を下します。個人的な見解は、誤りを免れることはできず、間違いを避けるためには、ただ、信頼できる歴史家が語った伝承を記すだけにとどまる方がよいのです。

このため、タバリーは常に、見解の表明を控えており、自身の見解により認められる伝承を記した後、明確な形で中立的な立場を取っています。タバリーの歴史的見解は、実際、神の意志を語っており、彼の見解では、歴史とは、共同体の経験を蓄えるものなのです。

研究者は、タバリーの歴史書には多くの長所があるとみなしています。その叙述形式の特性のひとつは、タバリーがすべてのイスラムの歴史的な伝承を、自身の本の中にひとつにまとめることを望んでいたため、このことによってイスラム史に貴重な貢献を行い、多くの証拠や出来事を忘れ去られないようにしたことにあります。

タバリーの歴史書は、大変大きな信頼性を有しています。また、政治的な事柄について多くの記述が見られ、文化・文明的な事柄についてはそれほど記されていません。タバリーはイランの歴史に、ほかの信用あるアラビア語文献ではまったく伺うことのできない真正性をもたらしたのです。

タバリーの歴史書を研究する多くの研究者によれば、タバリーは歴史的な出来事を伝える中で、中立性を考慮しています。一方で、タバリーは自身の歴史書の中では同時代の出来事については記していません。

 

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