特別番組:世界ゴッツの日に際して
(last modified Thu, 07 Jun 2018 10:53:30 GMT )
6月 07, 2018 19:53 Asia/Tokyo
  • イランにおける世界ゴッツの日のデモ
    イランにおける世界ゴッツの日のデモ

イスラムの断食月ラマザーン月の最後の金曜日は、世界ゴッツの日とされています。ゴッツとはパレスチナ被占領地にあるベイトルモガッダス・エルサレムのことを指します。この町は、この数ヶ月、大使館移転というアメリカの違法行為により、メディアで大きく取り上げられています。

世界ゴッツの日は、イスラム革命の創始者ホメイニー師によって、人権擁護を主張する西側政府が聖地のパレスチナ人に対して行う歴史的な圧政を非難するため宣言されました。世界のイスラム教徒はこの日、パレスチナを支持する中で行進や集会などのさまざまな行事を行います。

シオニスト政権イスラエルによる占領からのパレスチナ解放は、1960年代にホメイニー師の運動が始まった時から、その基本的なスローガンや理想のひとつでした。ホメイニー師はパレスチナにおけるシオニスト政権の樹立を悪魔の行為だとして、シオニスト政権をガン細胞だと呼び、何としてでもこれを排除しなければならないとしました。

1979年にイスラム革命が勝利した後、イスラム世界が、エジプトのサダト大統領、シオニスト政権のベギン首相、アメリカのカーター大統領により締結されたキャンプ・デービッド合意に衝撃を受けていた最中、ホメイニー師がラマザーン月の最後の金曜をベイトルモガッダス解放のための行進の日と定めたことは、再びイスラム教徒の心に希望を与えました。

ホメイニー師は、イスラム革命勝利後から半年の1979年8月、メッセージの中で、ラマザーン月の最後の金曜日を世界ゴッツの日と宣言し、世界のイスラム教徒に対して、イスラムの団結を呼びかけました。

ホメイニー師によるこの措置は、西側政府や、サダト大統領、ヨルダン国王のフセイン1世など、妥協的なアラブ諸国の要人の支援を受け、自らに合法性を与えるシオニスト政権の陰謀を失敗に終わらせました。

 

ホメイニー師

 

世界各国のイスラム教徒の国民は、ホメイニー師による世界ゴッツの日の制定を歓迎しました。国際政治の専門家アズィーズィー氏は、次のように語っています。

「世界ゴッツの日の重要性は、その宗教的な理由のほか、パレスチナ問題をイスラムの優先事項としたことにある。それ以前は、パレスチナ問題はシオニスト政権との関係正常化と、アラブ諸国とシオニスト政権の問題という方向に進んでいたが、世界ゴッツの日の宣言により、この日は、アラブ諸国の均衡の問題を、すべてのイスラム共同体にとって優先事項とすべきイスラムの理想に変えた」

世界中のイスラム教徒は、世界ゴッツの日の宣言から39年が経過する中で、毎年、盛大に街頭に出て、シオニスト政権の占領からベイトルモガッダスを解放する理想を再生・維持しています。

パレスチナ被占領地では、世界ゴッツの日が近づくと、アクサーモスクに行こうとするパレスチナ人に対する厳格な警戒態勢が敷かれます。過去においては、パレスチナでは世界ゴッツの日に複数の流血事件が発生し、この中で、シオニスト政権軍により、多くのパレスチナ人が殉教、または負傷しています。しかし、その後、パレスチナ被占領地では、世界ゴッツの日の運動が、盛大に行われています。

世界ゴッツの日、イランでも最大規模の運動が行われます。

どの町でも、この日、人々は街頭に出ています。1980年代、イラクのサッダームフセインの侵略行為の中で、ミサイル攻撃や空爆が行われていても、世界ゴッツの日の運動は行われました。ある年には、テヘランでは500万人がこの日の運動に参加しました。

イランの人々が世界ゴッツの行進に大々的に参加していることは、世界ゴッツの日の理想が現在も存続していることを示しています。イランはパレスチナの人々に対する政治的、精神的なものなど、多面的な支援を惜しむことはありません。レバノンやパレスチナの抵抗戦線は、イランの支援を得て結成されました。レバノンやパレスチナにおけるイスラムの抵抗の勝利は、シオニスト政権のレバノンやガザへの侵攻に抵抗する中での、この支援による成果だったのです。

イランはイスラムの抵抗を支援する中で、宗派の違いに目を向けることはありません。パレスチナイスラム抵抗運動ハマスはスンニ派の組織ですが、レバノンのシーア派組織ヒズボッラーと同程度の支援をシーア派のイランから受けています。

シオニスト政権と、アメリカをはじめとした西側のその支援者は、何がシオニスト政権に損害をもたらすのかを良く知っています。それは、シリアやレバノンのイスラム抵抗戦線なのです。

シオニスト政権は、4回の重要な戦争の中で、ヒズボッラーやハマスに敗北を喫しています。その勝利の成果の一部とは、1982年におけるレバノンの占領地からのシオニスト政権軍の撤退、2000年のレバノン南部からのシオニスト政権軍の撤退、2006年の33日間に及ぶ戦争の敗北にあたります。この勝利は、2014年のガザ地区における51日間の戦争により、完全なものとなりました。

この失敗を受けて、シリアの現政権の転覆への支援を口実に、シリア危機が勃発しました。この危機を作り出したのは、シオニスト政権と西側政府の支援を受けたサウジアラビアでした。彼らはこの中で、シオニスト政権に抵抗する抵抗戦線の崩壊と、パレスチナの占領の問題をイスラム世界の第一の優先事項からはずすことを追求していました。

シリア危機のあと、シリアとイラクでテロ組織が力を増し、イスラム世界にとっての大きな脅威となりました。一部の地域諸国の政府の敵意により、シリアは破壊され、数百万人が難民化し、また数十万人が死傷しました。

シオニスト政権とその西側の支持者の政策は、イスラム教徒の国に危機を作り出し、その危機に手を焼かせることで、パレスチナ問題をイスラム世界の問題から追いやり、この中でシオニスト政権に合法性を持たせようとしている、という形のものなのです。

歴史的には、パレスチナ問題の中で、土地の占領、人々の追放、虐殺などの大規模な人道犯罪という3つの出来事が発生しています。この共通の目的は、イスラム教徒の最初の礼拝の方角・キブラであるベイトルモガッダスの占領・支配と、ベイトルモガッダスを含めたパレスチナ領土のイスラム的アイデンティティを消失させることです。シオニスト政権はこの違法な目的を果たすため、常にパレスチナの存在を脅かしています。

パレスチナを守ることは、抑圧された人々を守る中での、国際社会の義務です。パレスチナの歴史的経験は、シオニスト政権に対する強い抵抗や忍耐が実を結ぶことを示しています。イスラム革命最高指導者のハーメネイー師によれば、シオニスト政権はある日、ナイル川からユーフラテス川までというスローガンを掲げたものの、現在、自身を守るために分離壁を築かざるをえなくなっているのです。国際政治の専門家、セイエドハーディーアフガヒー氏は次のように語っています。

 

ベイトルモガッダス

 

「シオニスト政権はその横暴な主張を証明するため、その首都をテルアビブからベイトルモガッダスに移転するとしている。しかし、シオニスト政権は占領政権であり、この町に古くから住む人々の古代都市を支配しようとする権利はない。残念ながら、現在、ベイトルモガッダスの様相を変える多くの行動が行われている。つまり、世界ゴッツの日の問題は、歴史的な側面を有しており、また宗教の神聖、法的、政治的な側面も有している」

世界ゴッツの日は、パレスチナの解放とイスラム教徒の団結にとって重要な日なのです。このため、毎年、以前よりも盛大に行われているのです。