9月 22, 2019 16:44
ナスィーロッディーン・トゥースィーは1201年、イラン北東部の町トゥースに生まれました。彼は、コーランや学問の基礎、イスラム法学や原理を父の下で、その後おじのヌーロッディーン・ムハンマドの下で、イスラムの伝承・ハディースや論理学や哲学を学びました。
また少年期に、学問を修めるために、当時イスラム世界の学問の中心とみなされていたイラン北東部のネイシャーブールに赴き、当時の一般的な学問の全てにおいて傑出した存在となりました。モンゴルがホラーサーン地方に侵攻していた時期、トゥースィーはイスマーイール派の拠点に行き、多くの著作を記しました。モンゴルのフラグ・ハンはイランを攻撃し、イスマーイール派の統治を終わらせると、トゥースィーを召抱え、彼を事実上の宰相に選びました。