視点
印ボパール化学工場事故から38年、50万人が米国式人権の犠牲となった日
12月3日土曜は、インド中部マディヤプラデーシュ州の中心都市ボパールで発生した悲惨な人災から38年に当たります。この日はアメリカの企業および資本主義システムの無責任さにより、インドで50万人以上の人々の生活が破壊され、米ドルの価値が人権や人命よりも優先された日でもあります。
開発途上国は多くの場合において、経済大国からの投資に依存しています。非常に多くの商社が安価な労働力を有する国に工場を設立しており、これは両者に利益をもたらしますが、こうした取引は両者の無責任により歴史に残る悪名高い災害を引き起こすことがあります。
1984年12月2日日曜深夜、ほとんどのインド国民が眠っていた時間に、人口約100万人を有するマディヤプラデーシュ州ボパールの多数の住民が、有毒ガスであるイソシアン酸メチル(MIC)の吸引により死亡しました。殺虫剤の調製に使用されるこの有毒ガスは、同市の近くにあるUCILユニオン・カーバイド社の工場のタンクの1つから漏出したものでした。
この人災の影響を受けた正確な人数は不明のままですが、3年後に出された公式統計による死者数は3500人と発表されています。もっとも、間接的な影響による死者数も含めると1万人以上と推定されています。さらに、約4万人が生涯にわたる身体障害を負った、もしくは慢性的な重病をかかえることになったほか、さらに20万人から30万人がさまざまな形で負傷し、職を失ったり、一家の稼ぎ手を失い貧困家庭となりました。
この悲惨な人災から38年が経過した現在もなお、事故現場の近隣住民数千人が未だに有毒物質の影響に苦しんでいます。人権活動家は、地中深くに埋まった毒素や有害廃棄物が、当時生き残った世代だけでなく、その後の多くの世代にも影響を与えたと考えています。
インド政府は、ボパール市の人口の半分以上にあたる52万1262人がこの有毒ガスにさらされた事実を認めています。
UCIL社は、塗料、包装、ケーブル・ワイヤ、家電製品、衛生用品、医薬品などの製品で有名なアメリカの化学・ポリマー産業企業です。同社は1934年にインドに投資し、同国に農薬製造プラントを設立しており、独立後のインドに最初に投資した企業の1つでした。
ボパール市にあるUCIL工場は、同社のブランド製品である殺虫剤「セヴィン」を製造・販売するために建設されました。この殺虫剤は、インドの人口が増加し、農業用の需要が増していたため、当時非常に有用でしたが、その利益は、いまだにインド社会に影響を与えている害よりもはるかに少ないものだったのです。
この工場プラントのタンクからガス漏れが発生した後、UCILの関係者は、インドでの訴追からの司法免責により、一切の責任を否定し、この事故で生き残った人々と共に閉鎖されたプラントを放置しました。
しかし、国際法廷の場で繰り返し訴訟が起こされたため、UCILはガス漏れの責任回避と自らの無実の証明をもくろみ、この人災を「ブラック・ジューン」を自称する過激派シーク教徒に責任転嫁しようとしましたが、その証拠は一切存在しませんでした。その次は、 不満を持った従業員が有毒ガスの漏洩を計画したと主張したのです。
UCILが採った主な戦略は、インド支社への責任転嫁でした。同支社は工場の株式の9.50%を所有していたに過ぎませんでしたが、これを主要株主と主張し、事故発生時に工場はインド人のみが運営・管理しており、同社はボパール工場の建設や運営には関与していないというものでした。
UCILはさらに、定款に「多国籍企業」いう記述はないと主張し、米国外での活動の一切を否定さえしました。
アメリカの裁判所は民主主義のスローガンを拠り所として、自国の司法制度での事件の審理を拒否し、この事故はインドで審理されるべきであるとしました。しかし、この事故に関する訴訟が米国内では増した一方で、インド側は事故を調査する適切な状況にありませんでした。
この事故がインド側に差し戻された後、同国最高裁で3年間にわたり審理されることが決定されましたが、被害者の窮状と彼らへの即時の支援提供の必要性のため、UCILに4億7000万ドルの賠償金の支払いが命じられました。そして、インド最高裁は最初から、この賠償金支払いはすべての訴訟・請求の最終的な和解であり、それに基づきUCILをその後の一切の責任から免除するという判決を下しました。しかし、その後の控訴審で、UCILに工場運営の責任はなかったという主張は退けられ、賠償額は事件の正確な全容がはっきりするまでの一時金とされました。
ボパールのあの悲劇から38年が経過した現在も、アメリカ側は、この悲劇的な人災および、インド政府・国民の不満に対応していません。これまでに13回以上にわたり、インド側の原告がUCILを相手取りアメリカの裁判所に訴えていますが、そのたびに訴訟は却下されています。
ボパールに放棄されたUCIL工場はまだ残っており、そのタンクと敷地には25トン以上の有毒物質が残存しています。しかし、米国裁判所の最新の判決では、UCILと同社のウォーレン・アンダーソン前会長は、環境の改善や、工場近辺の住民が訴える水と土壌の汚染について責任はないとされています。
原告らはこの訴訟において、事故および放棄された工場に保管されていた化学物質により、工場周辺の地下水と土壌が汚染され、その飲料水を飲んだ地域住民に取り返しのつかない被害を与えているとする証拠を提出しました。
ここで留意すべきことは、この訴えが1999年に提出され、その最終判決が2012年に出されたこと、そしてアメリカ政府にとって「開発のための一時的な被害」に過ぎなかった女性、男性、子供たちの生活状況と健康問題への対処に13年以上かかったということです。
ボパール事故訴訟は、地政学的な観点からも司法の正統性に疑問を投げかけています。これは、特異な出来事でも、一回限りの事故でもありません。多国籍企業は、その政治力と富に基づいて自ら法を作る立場になり、他国に損害を与えても、いずれの裁判所もその責任を問うことはできないのです。
経済強国は、他国の人々を労働者として簡単に死に追いやっても平然としています。それは、世界の訴訟システムが加害者の責任を問うことができないからです。
西洋の言説は民主主義と人権の概念を主張しているものの、実際にもたらされているのは無数の苦しみと死でしかありません。ボパールの悲劇は、資本主義の歴史の一部であり、この事故が起きた場所では米ドルの価値が人命よりも優先されたということなのです。
ボパールの惨事は今なお世界最大の産業災害と見なされています。資本主義体制とその政治ゲームにより人権がまたもや犠牲となり、事故の遺族や生存者数千人のアメリカに対する訴えは、今もって結果に至らないまま放置されているのです。