視点
イランで発生した騒乱・暴動;1999年~2022年
最近、イランで散発的な騒乱・暴動が発生しています。しかし、イランの政界・社会は過去20年間にもこの種の出来事と無縁ではありませんでした。
イランのイスラム共和制への敵対者は、この体制に反抗する目的達成のため、騒乱・暴動を起こそうと特別な工作に熱を上げてきました。ところで、過去20年間のイランでの騒乱の変遷・歴史はどのように移り変わってきたのでしょうか?
抗議行動形成の要因
1999年と2009年に発生した抗議行動では、政治的な問題が主軸でした。1999年には新聞の発禁、そして西暦2009年には大統領選挙での不正行為を口実に、イラン各地で騒乱が発生しています。そして、2017年と2019年には、ガソリンの値上げを初めとした経済問題が、暴動発生の主要因となっていました。しかし、現在起こっている騒乱は文化・社会的問題をめぐるものです。言い換えれば、イランの現政治体制への敵対者や反体制派は過去20年間、国内からの体制打倒を目的とした騒乱の扇動を起こさせてきました。彼らは、政治的な問題をめぐる騒乱が失敗した後、今度は経済問題に着眼点を移し、低い社会階層の人々を反体制行動に駆り立てようとしました。しかし、それも不首尾に終わったことから、イスラム教徒の女性の被り物であるヘジャーブの問題を種にして、若者や青年らを反体制運動に動員することを試みたというわけです。
騒乱扇動に利用されたメディアの変遷
1999年と2009年に発生した騒乱と、2022年の暴動との間のもう1つの相違点は、騒乱・暴動を起こすためのメディア手段の変遷です。過去における一連の騒乱において、メディアという因子が利用されていました。特に、英BBCや米VOAといったメディアは、騒乱の形成や拡大に重要な役割を果たしていました。そして現在もこうしたメディアが顔を連ねているほか、いわゆる先進メディアとしてのSNSも、騒乱の扇動・完成に大きく関与しており、今や全ての人々の間に普及しています。しかし、今回の相違点は、1999年から2009年はまず騒乱が先に起きてからメディアがこれをさらに拡大させたのが、2022年はメディアが騒乱を起こしたことにあります。過去においては、メディアはあくまでも騒乱を報道する側だったのが、現在では騒乱を起こす側に回っているのです。
騒乱発生時期における相違
さらに、もう1つの相違点は、1999年から2009年にはまず抗議行動が形成され、しばらくして暴動に発展していたたが、2022年には、抗議行動なしに最初から暴動が目的となっていたことです。このことは、イランの敵がイランには抗議の基盤的な下地がないと主張しているものの、彼らは基本的に抗議を求めているのではなく、あくまでも彼らの本来の目的が暴動や騒乱である、ということを示しています。正統な論拠をもっての抗議は統治体制によって国民に与えられた権利であり、様々な下地から表明されています。しかし、抗議行動は敵にとって好ましいものではなく、実は統治体制の弱体化や打倒という目標に彼らを近づけるものは、騒乱や暴動の形成だということです。
市民の行動内容における相違
今回の一連の騒乱では、市民の行動・対応の内容にも違いが見られました。1999年から2009年、そして2017年と2019年の騒乱では、多数の市民が街頭に繰り出していましたが、今回はそうした人々は少なくなり、非常に限られています。人々は路上に出たがらず、暴動や暴力に反対しているのです。暴徒らは、街頭に繰り出す人々が少ないことを利用して破壊的なスローガンを出し、それをメディアにおいて出来事に仕立てあげようとしています。
こうした中、どうやらネットワーク内、さらにはトレンドやハッシュタグの形での人々の参加が一層増加しているようです。これらのトレンドやハッシュタグは、構造破壊的というよりは、一部の行動や問題に対する不満を表すものであり、市民は自分の問題を減らして生活条件を改善するためのさらなる努力や改善をを期待しているといえるでしょう。