なぜ殉教者を語り継ぐことが重要なのか?
イスラム教において殉教とは、神の道において、あるいは社会に貢献するために自らの命を犠牲にすることであり、「最も尊い死」と言われています。
【ParsToday宗教】イスラム教の聖典コーランや預言者ムハンマドなどの言行録・ハディースには、殉教について、その魂が生き続けることや生前の罪が赦されることなど、多くの特徴が記されています。イランにおいても、殉教は1979年のイスラム革命以降、重要なテーマであり続けています。
イランの政治学者ジャアファル・アリーネジャーディー氏は、イラン紙「今日の祖国」への寄稿で、殉教や殉教者について語り続けることの意義を以下のように記しました。
ハーメネイー最高指導者がコフギールーイェ・ブーイェルアフマド州の国民殉教者会議本部のメンバーらとの面会で語ったことは、敵が仕掛ける心理戦に関して示唆に富むものであり、今のイランが置かれている政治・社会環境を考えれば、注目に値するものだ。
覇権主義をもたらすものとして最も容易な方法は、相手を消極的な姿勢にすることだろう。そうした姿勢は、自分や敵の能力を見誤る要因となる。つまり、自分を過小評価し、敵を過大評価するということだ。
社会においてそうした消極姿勢が出るのは、恐れや悲嘆、失望にとらわれている時だ。この3つのどれかひとつでも社会に浸透し、その価値観を変え得る要因になれば、最終的には相手への依存や従属につながっていくだろう。
つまり、社会の独立が維持されるためには、勇気や活力、希望が存在していることがきわめて重要になってくる。社会における英雄はこうした要素を持ち合わせている。それは、困難な出来事に対しても恐れず、堂々と立ち向かう勝者という意味である。
しかし、そうした英雄を有していながら覇権主義勢力に恐れおののいてしまう国民がいるのは、なぜなのだろうか? それは、英雄が歴史上の人物となり、特殊な例として扱われ、それに続く動きができなかったからである。
反対に、英雄が現実に生き続ける社会では、国民は恐れや悲嘆、失望を自ら克服する英雄的文化を有することになる。そのような社会では、英雄が人々の記憶から消えることはない。過去の歴史の人物ではなく、いまを生きる人物として残り続ける。そして、神の意志により次の英雄が現れることを待望するのである。
殉教は恐れを変え、敵の「恐怖作戦」を無効化する。なぜなら、殉教とは英雄文化であり、殉教という概念を有する国民は虜囚になることはないからだ。恐れを知らない者は敵の心理戦においても敗れることはない。
殉教者を記憶し続けることは、恐れや悲嘆、失望に屈することを防いでくれる。そうした意味で、殉教者の記念は、覇権主義勢力に対する抵抗や国家の自立を確たるものにする。