文明の発祥地;イランの最も神秘的な歴史的地域における考古学的発掘の新たな詳細【写真あり】
(last modified Sat, 23 Nov 2024 07:17:24 GMT )
11月 23, 2024 16:17 Asia/Tokyo
  • イランの最も神秘的な歴史的地域における考古学的発掘の新たな詳細・南東部コナールサンダル
    イランの最も神秘的な歴史的地域における考古学的発掘の新たな詳細・南東部コナールサンダル

世界的に傑出した考古学者によりますと、考古学的な証拠資料に照らしイラン南東部ケルマーン州ジーロフト市が青銅器時代の人類文明の起源の一つであることは広く認識されています。

ケルマーン州南部、ハリールルード川の400kmに及ぶ川岸に広がるジーロフト平原は、イラン最大の考古学的地域の1つです。イランの考古学者セイエド・サッジャーディ氏は、同州に隣接したスィースターン・バルーチェスターン州にあり「焼失した都市(シャフレスーフテ)」として知られる遺跡での発掘調査を行い、その結果この文明は世界遺産に登録されました。同氏は、「1984年にハリールルード川岸に広がるジーロフト平原で42か所の先史時代の遺跡を特定した」と述べています。

パールストゥデイ紙がイラン紙エッテラーアートの報道として伝えたところによりますと、セイエドサッジャーディ博士が率いる20人のイラン人考古学者、建築家、人類学者らの調査班が数日間、この地域で考古学調査を行っています。新たな発掘シーズンは今月10日に始まり、45日間続くことになっているということです。

 

考古学者セイエドマンスール・セイエドサッジャーディ博士(左)


中でもコナールサンダル地区は、今日に至るまでジーロフト平原における最も有名かつ謎めいた地域とされています。考古学者は、同地区が世界史上最古で、しかも数少ない都市化の痕跡の一つであるとの見解を示しています。

第1段階として、1980年代初頭に洪水が発生したことにより、この文明の表面から歴史の埃の層が取り除かれました。

その後しばらくして、マジードザーデ博士とその調査班がジーロフトにやって来て探索調査を開始しました。この調査中に、マジードザーデ博士は、ジーロフト平原のコナールサンダル地区がおそらく、シュメール神話に出てくる失われたアラッタ文明、またはアジア最古の文明であるとする有名な学説を提起しています。

それから16年経った2023~24年の冬、今度はセイエドサッジャーディ博士が率いる考古学者らが再びコナールサンダルにやってきました。なお、マジードザーデ氏はイラン文化遺産研究所に宛てた書簡の中で、セイエドサッジャーディ博士をこの研究に最も適した研究者および考古学者に指名しています。

 

建築構造の探求

最近、コナールサンダルを訪れるすべての人々が、丘の周辺で活動している調査隊を見て心を躍らせ、誰もがイラン人考古学者からの新しいニュースを心待ちにしています。今回、本紙はコナールサンダルの丘の斜面で、セイエドサッジャーディ博士に会い、この調査期間中にどのような疑問に対する答えを見いだそうとしているのかについて話を聞きました;

 

謎に包まれたコナールサンダル地区


セイエドサッジャード博士は記者の質問に答え、「今シーズンの発掘調査では、多くの建設構造を見出す予定だ。その中で見つかる資料に基づいて、この限られた区域のどの場所に事務所や作業場、産業、そして人々の住居があったのかを推測できる。これらの建造物を見つけた後、地図上の該当箇所にこれらを書き入れていくことで都市の全容が見えてくる。我々はさらに、この古代都市に防護壁や柵があったのかどうかも調査中である」と語りました。

この調査隊はまた、偉大な宝物と呼ぶべきもの、つまりこの都市の古文書を探しています。これについて、セイエドサッジャード氏は次のように述べています;「我々はこの都市の古文書記録を探し出したい。それを見つければ、多くの疑問に対する答えが得られる」

「都市の公文書記録とはどういう意味なのか」という質問に対し、この考古学者は次のように答えました;「今日の世界では、州や地方自治体などのさまざまな機関に文書を保管する部門がある。過去においてもそれと同じようなものだった。「コナールサンダル地区で古文書あるいは古い記録を見つけ出せれば、それは極めて重要な出来事になるだろう」

 

ジーロフト碑文の解読

「2000~2010年の期間に行われたジーロフト郡コナールサンダル地区近辺での考古学調査・発掘の過程で、文字に似た記号が記されている多数の碑文や石板が発見された。これらの石板はまだ解読されていないが、現存する証拠資料に基づき、考古学者の間では、この古代都市に住んでいたコミュニティは識字能力があったのみならず、文字の基礎を築いた人々の一部でもあったと考えられている」

 

コナールサンダル地区の出土品

 

セイエドサッジャーディ氏はさらに詳しい説明として、次のように語っています;「古代の碑文や石板には、我々には簡単に意味が理解できない線や記号が刻まれている。メソポタミアで発見されたバビロニア語、アッシリア語、シュメール語の碑文と文書は、イラン西部ケルマーンシャー州の世界遺産・ビーソトゥ―ンのダリウス大王の三言語碑文に基づいて翻訳された。それは、この碑文が古代ペルシャ語、エラム語、アッカド語で書かれていたからである。アッカド語やエラム語は誰にも認知されていなかったが、我々は古代ペルシア語は認知していた。これをもとに古代ペルシャ語を解読すると、他の2行も認識され読み取れる」

 

コナールサンダル地区の出土品

 

彼はさらに、次のように述べました:「コナールサンダルに関して我々が抱えている問題は、これまで見たことのない線文字が見つかったことである。もし運良く別の死語による碑文が見つかれば、それは素晴らしいことだ。しかし、まだ何も明らかになっていない。シリア北部アレッポの南西55㎞に位置する古代都市エブラでも、現在でいうところの辞書が発見された。確かなことは、この未知の線文字の存在は文明の存在の証であるということだ。それというのも、文明は線文字から始まるからである」

 

人間が暮らし続けていた区域

1つの単純な地域区分分けでは、コナールサンダル地区には要塞、上手の都市及び下町が含まれます。下町には住宅地と産業区域が含まれており、セイエドサッジャーディ氏によれば、その一部は行政区域だった可能性が高いということです。

コナールサンダルの丘はかなりの標高があります。木の階段を上ると下から上まで到達できます。丘のふもとにある緑豊かなナツメヤシ園は、この平原に息づく人々の暮らしを如実に物語っています。これについて、「この平原での生存は、人類が存在していた時代から続いており、人々がここで暮らしていた時期が途絶えることはなかった」とセイエドサッジャーディ氏は語っています。

 

発掘調査の継続を強調

卓越した考古学者のユーソフ・マジードザーデ博士は、西暦2000年代にジーロフト郡コナールサンダルに関する学説で注目されました。彼は、セイエドサッジャーディ氏が率いる新たな発掘調査の期間開始を前に、イラン文化遺産研究センター所長に宛てた書簡の一部において次のように述べています;「世界中のすべてのオリエント学者は、考古学的な証拠史料に基づきジーロフト及びイランが青銅器時代の人類文明の発祥地の一つであるという学説をおおむね受け入れている」

 

コナールサンダル遺跡群で発見された碑文と出土品


マジードザーデ博士は最後に発掘調査の継続を強調し、「これらの発掘調査は、文明の中心をメソポタミアだとみなす一連の学説や思想の多くに疑問を投げかけており、この観点からすればイラン考古学の転換点であり、また今後も転換点であり続けるだろう」と結びました。

 


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