機械工学からイラン軍合同参謀本部の指揮までを担うバーゲリー少将とは?
(last modified Mon, 09 Jun 2025 04:27:21 GMT )
6月 09, 2025 13:27 Asia/Tokyo
  • モハンマド・ホセイン・バーゲリー・イラン合同参謀本部議長
    モハンマド・ホセイン・バーゲリー・イラン合同参謀本部議長

イラン合同参謀本部議長を務めるモハンマド・ホセイン・バーゲリー少将は冷静沈着で、体系的かつ合意形成型の管理スタイルを持つ指揮官であり、国民と軍エリートの間で特別な位置づけにあるとともに、イランの軍事権力の新たな設計者と称されています。

バーゲリー議長はイランイスラム共和国軍の現在の運命に影響を与えるだけでなく、国家の防衛方針の将来を決定する上で極めて重要な役割を担う、イランの指揮官世代を代表する人物となっています。

【ParsTodayイラン】この記事では、バーゲリー議長の経歴を振り返ります。

後にモハンマド・バーゲリー少将として知られることになるモハンマド・ホセイン・アフショルディ氏は、イラン太陽暦1339年(西暦1960年もしくは1961年)にテヘランで生まれました。彼は、イラクの旧バアス党政権がイランに押し付けた8年間の戦争における天才、そして「聖なる防衛」として知られるこの戦争で殉教した英雄の一人、故ハサン・バーゲリーの弟に当たります。現在、イラン・イスラム共和国軍合同参謀本部議長として活躍するこの傑出した司令官は、イランで最も影響力のある軍人の一人であるとともに、イランの防衛構造における賢明で先見性ある企画立案者でもあります。

 

バーゲリー議長(左端)と殉教した兄ハサン・バーゲリー(左から3番目)


 

学歴および学術活動

1979年に勃発したイスラム革命当時、バーゲリー氏は高校の最終学年に在学中でした。この革命後、彼は工科大学に進学し、当時の工科大学(現アミール・キャビール工科大学)の機械工学部に入学しました。そして文化面での革命まで同大学にて学業を継続しましたが、1980年春に文化革命により国内の大学が閉鎖され、西部コルデスターン州で西側諸国の陰謀が始まったことから、同年夏からIRGCイランイスラム革命防衛隊での勤務を開始しました。彼は戦後も学業を続け、現在はタルビヤト・モダッレス教員養成大学で政治地理学と地政学の博士号を取得し、イラン防衛大学の教授会メンバーとなっています。また執行職に加え、防衛大学とタルビヤト・モダッレス大学にも奉職しています。

改名

バーゲリー氏の兄は複数の戦線におけるアイデンティティを守るためハサン・バーゲリーと改名しており、モハンマド・バーゲリー氏もこの兄との血縁関係や外見上似ていることから、自身の姓をバーゲリーに改称しました。彼はこの点について、「兄への敬意から、この名前は私にとってずっと残るものとなった」と語っています。この決断は、殉教した兄への忠誠の証であるだけでなく、神の道における聖なる戦いおよび、奉仕の道におけるバーゲリー氏自身の新たなアイデンティティとなりました。

 

青年時代のバーゲリー議長(右端)


 

前線から指揮官へ

モハンマド・バーゲリー氏は23歳でIRGCイランイスラム革命防衛隊の複数の部隊の情報部長に就任し、終戦までイラク南部カルバラー基地および、ハータム・アル=アンビヤー基地における情報活動と戦闘作戦の立役者を務めました。終戦後、彼はイラン軍合同参謀本部に加わり、情報部部長、情報・作戦副部長、共同業務機関長などの役職で貴重な経験を積んだのです。

 

対イラク戦争「聖なる防衛」軍の指揮官らとともに(右から4番目)


 

敵地深奥部での戦闘

1996年、バーゲリー氏はイラン西部でCPIコルデスターン州イラン共産党機関やおよび、KDPIコルデスターン民主党といったテロ組織に対する大胆な作戦立案において中心的な役割を果たしました。アフマド・カーゼミー将軍の指揮下で遂行されたこの作戦は、イラク領土の国境から10キロメートル入った深奥部まで進攻し、敵陣地への砲撃により敵側に致命的な打撃を与えました。バーゲリー氏はこの戦場で、再びその戦略的知性を証明したのです。

 

少将への昇進

バーゲリー氏は47歳で、イラン最高軍事作戦本部たるハータム・アル=アンビヤー中央本部の副調整官に就任しました。また、2008年にはイランイスラム革命最高指導者ハーメネイー師から少将の位を授与されており、この勲章は彼の比類なき功績を承認するものでした。

 

最高指導者ハーメネイー師から少将の位を授与されるバーゲリー氏


 

イラン軍合同参謀本部の舵取り役

2016年6月28日、当時56歳だったバーゲリー少将は最高指導者ハーメネイー師の命により、セイエド・ハサン・フィールーザーバーディ少将の後任として、イラン軍合同参謀本部の指揮権を掌握し、同本部議長に就任しました。バーゲリー議長は実地経験、学術的知識、そして戦略的ビジョンを融合させ、合同参謀本部を理論的な組織から、調整、未来への企画、そして統合演習の強化のための躍動的な中心拠点へと変貌させたのです。

 

名誉勲章の受章

バーゲリー議長はイラン最高指導者のハーメネイー師から三等戦勝勲章2個、二等戦勝勲章1個、そして最高位の軍事勲章を授与されました。これらの栄誉は、イスラム体制とイランという国に対するバーゲリー議長の揺るぎない貢献を証明するものだと言えます。

 

預言者ムハンマドの子孫マースーメの霊廟(テヘラン南部ゴム州)に詣でるバーケリー議長


 

制裁と抵抗

2019年11月4日、バーゲリー議長はアメリカ財務省の制裁対象リストに掲載されました。これは、彼が地域情勢に関与していたという口実で提起された非難行為でした。しかし、こうした制裁はバーゲリー議長の決意を弱めることなく、逆に国益の死守という彼の意志を一層固めさせることになりました。

 

思想と著作

バーゲリー氏は学術分野でも優れた業績を残しています。コーカサス地域、西アジアの地政学、ペルシャ湾およびその湾口に当たるホルモズ海峡の国際海洋法に関する著作、そして政治地理学の中心拠点およびイラン地政学協会の会員であることは、彼の深い知識とイランの学術発展への貢献を物語るものです。

 

モハンマド・バーゲリー合同参謀本部議長


 

先制防衛の立役者として

バーゲリー議長はイランの軍事ドクトリンにおける「先制防衛」概念の立役者の一人としてミサイル、海軍、防空、そして電子戦能力を国の抑止力の支柱へと転じさせました。また革命防衛隊と政府軍の建設的な連携を通じて、指揮統制ネットワークを強化し、西アジアにおける抵抗戦線への効果的な参戦・関与を確立されています。

 

2020年にイラクで殉教した故ソレイマーニー・革命防衛隊ゴッツ部隊司令官とともに


 

沈着冷静で、奥深い思想を持つ戦略家

バーゲリー議長は軍事面での実績に加え、防衛外交の分野でも賢明かつ活発な人物として活躍してきました。地域・国際会議や交渉においては常に国内の軍事力強化により自国を防衛するイランの権利を強調するとともに、防衛政策に対するイランのバランスの取れた、客観的かつ論理的な見解を提示しようと努めています。

バーゲリー議長は沈着冷静で寡黙な指揮官である一方で、体系的かつ合意形成型の管理スタイルを持ち、国民と軍エリート層の間で特別な地位を占めています。近代軍事知識、複合脅威分析、そして認知戦に精通したバーゲリー議長は、イランの国防の未来をしっかりと形作っています。そしてイラン軍合同参謀本部議長就任10周年を目前に控えた現在では、イラン軍の権威を新たに構築する人物でもあります。バーゲリー議長は経験、知識、そして戦略的洞察力を融合させ、イスラム教国イランを複雑な脅威に対抗する難攻不落の要塞へと変貌させた人物なのです。

 

 


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