1月 09, 2017 16:42 Asia/Tokyo
  • ラフサンジャーニー師の生涯

イラン公益評議会の議長を務めていたラフサンジャーニー師は、革命とイスラムに努力を注いでいた人生を送った後、8日日曜夜、82歳で死去しました。

ラフサンジャーニー師は1934年、南東部ケルマーン州のバフラマーン村に生まれました。彼は1960年代、勉学を続けるためにテヘランの南の聖地、ゴムの神学校に行き、パフラヴィー王政との戦いに参加しました。

イスラム革命の創始者ホメイニー師の古くからの盟友であるラフサンジャーニー師はまた、パフラヴィー王政に対する戦いにより数回にわたり投獄されましたが、自分の理想をあきらめたり、ホメイニー師を見捨てることはありませんでした。

さらに、イランのイスラム革命の勝利により、内務大臣、その後、数期に渡り国会議長職にあり、またイラン・イラク戦争の時代には、長期にわたり副総司令官をつとめていました。

ラフサンジャーニー師は、1989年から1997年、2期にわたりイラン大統領に就任し、その後、イスラム革命最高指導者のハーメネイー師の指示により、イラン公益評議会の議長を死去するまで務めました。

また、専門家会議の発足当初から、この組織の代表として参加し、2007年から2011年には、議長を務めました。

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