思想家の考えるイスラム革命(2)
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ジョン・エスポジト
イランイスラム革命は、20世紀最後の革命であり、政治的、社会的な現象として、国際関係に影響を及ぼしました。
イランのイスラム革命は、多くのアナリストを驚かせています。この革命について、イギリスの新聞タイムズは次のように記しています。
「イランのイスラム革命によって、世界中の革命や宗教的な運動が高まり、西側世界はイランの革命によって、再びイスラムを理解した」
「イラン革命とその世界的な反響」という本は、さまざまな国の大学や研究施設の著名人や教授、研究者のグループが、イランの革命の反響について取り上げている本であり、その包括性と正確な分析や科学的な見方により、この問題に関する啓蒙的で貴重な作品となっています。これらの研究は、別々の論文であったものがアメリカ・ジョージタウン大学のイスラム研究者であるジョン・エスポジトの尽力により、収集されました。
エスポジトは、イランイスラム革命の重要性について次のように記しています。
「イラン革命の多くの友人や敵は、この革命は、イスラム世界や西側世界に大きな影響を及ぼしたと考えている。この革命は一部の人にヒントを与えるものだった。現代のイランの最初の10年は、革命の定着と輸出という2つの目的を伴って始まった。誕生したばかりのイスラム体制にとって、イスラム法の導きのもと、民主的な議会政治を想定した憲法が整えられた。そしてホメイニー師がイスラム法学者による統治のトップに立った。その結果、イラン社会に目覚しい変化が起きた。財政、保険、外国貿易、主要な産業が国有化され、負債が支払われると共に、外国の投資への依存を減らした独立した経済が生まれた。革命は、理論の面だけでなく、実践の面でも、イランの社会的な展望に深い変化をもたらした」
イスラム革命の敵は、革命の勝利当初から、イスラム革命が地域や世界に及ぼす影響に対抗するため、この革命をシーア派の革命であるように見せようとしました。しかし、エスポジトはそれとは異なる見解を有しています。彼の見解は次のようなものです。
「イランイスラム共和国は、誕生の当初から、革命の輸出を外交政策の中心として発表した。革命の他のいかなる側面も、これほどメディアの注目を集め、西側政府やイスラム政府に恐怖を抱かせるものはなかった。西側、特にアメリカは、誤った解釈によってイランの方針を、またイラン革命の世界的な反響を理解できていなかった」
エスポジトはこう続けています。
「このような誤った解釈のひとつは、イランの革命がシーア派、宗教主義に大きく傾倒したものであるというものだ。しかしこの革命は、当初から、世界的なイメージを提示してきた。例えば、ホメイニー師は、革命はイスラムの原則に根ざし、シーア派とそれ以外の人々を含む、世界のすべての虐げられた人々のものであると強調していた」
このアメリカの研究者はさらに続けています。
「革命勝利の翌日から、イスラム教徒の大学生の多くが、自分の宗派にこだわらず、イランを手本に据えた。そのため、カイロ大学のスンニ派の学生は、イランの人々の革命は、深く研究する価値があり、それによって教訓や動機を手にし、その模範を利用することができると語った。実際、専門家も一般の人々も、この革命をシーア派の勝利とは見なしていない。多くのイスラム教徒は、それをアメリカの帝国主義に対する第三世界の勝利、悪魔の勢力に対するイスラムの勝利と見なしていた」
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