西側の犯罪を再考する|ニュージーランドにおける英国の犯罪
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イギリスはニュージーランドの植民地時代に残虐行為に手を染めた経歴があり、その影響は今日に至るまで同国の政治構造や先住民であるマオリ族の社会に残っています。
(last modified 2025-11-11T05:55:34+00:00 )
11月 10, 2025 19:16 Asia/Tokyo
  • イギリス植民地主義者が収集した、同国侵略軍との戦闘で殺害されたニュージーランド先住民の頭部;ニュージーランド、1895年
    イギリス植民地主義者が収集した、同国侵略軍との戦闘で殺害されたニュージーランド先住民の頭部;ニュージーランド、1895年

イギリスはニュージーランドの植民地時代に残虐行為に手を染めた経歴があり、その影響は今日に至るまで同国の政治構造や先住民であるマオリ族の社会に残っています。

【Pars Today国際】19世紀に大英帝国がオセアニアにおける影響力を拡大するにつれ、ニュージーランドはイギリス植民地主義者の主要な標的の1つとなりました。ヨーロッパ人入植者の到来、そして1840年にイギリス代表と一部のマオリ部族の間でワイタンギ(ニュージーランド北島の都市)条約が締結されたことで、流血紛争と広範な不正の時代が幕を開けることとなったのです。この条約はマオリ族の権利保護を目的としていましたが、実際にはイギリスによる完全な支配のための手段と化しました。

マオリ族に対する植民地戦争:

この条約調印後、その解釈をめぐって論争が起こりました。当初は先住民の権利保護が約束されていましたが、イギリス政府は速やかに政策を実施し、部族の土地を没収し、マオリの社会構造を弱体化させました。これに対しマオリ族は抵抗し、彼らとイギリス軍の間で「ニュージーランド戦争」として知られる戦争が勃発しました。1845年から1872年まで続いたこの戦争は非常に凄惨なもので、数千人の先住民が殺害、負傷、あるいは土地を追われ、数多くの村落や農地が焼き払われたのです。これらの紛争中、イギリス軍は集落を焼き払い、食料を破壊し、多くのマオリ族の指導者が投獄または処刑されました。また、戦争終結後、マオリ族の広大な土地が没収されてヨーロッパ人入植者に与えられたため、広範囲にわたる貧困が発生し、伝統的なマオリ経済が破壊されました。

歴史に残る統計によれば、いわゆる「ニュージーランド戦争」では先住民の人口に注目し多数の犠牲者が出ました。

北方戦争(1845~1846年)

場所:ベイ・オブ・アイランズ地区

原因:ワイタンギ条約調印後の政治・経済的権力の低下に対するマオリ族の抗議

死傷者:オハエアワイの戦いでイギリス軍約94名、マオリ族約28名が死亡

南部戦争(1847~1848年)

場所:ウェリントン地域

原因:部族間の土地所有権をめぐる紛争

犠牲者:マオリ族約15名、イギリス軍約11名

タラナキ戦争(1860~1861年)

場所:北島タラナキ地方

原因:土地没収に対する部族の抵抗

犠牲者:マオリ族200人以上、イギリス人とその他ヨーロッパ人入植者約100人

ワイカト戦争(1863~1864年)

場所:北島北中央部ワイカト地方

原因:マオリ王権運動への反撃

犠牲者:マオリ約500人、イギリス軍および連合軍約230人

東部戦争(1865~1872年)

場所:北島東部

原因:パイ・マリレ (Pai Marire) 教,運動などのマオリの宗教・政治運動の鎮圧

犠牲者:マオリ族300人以上、政府軍約100人

歴史的推定によれば、ニュージーランド戦争における総犠牲者はマオリ族の死亡者が2000人以上、イギリス軍と入植者軍は約800人が死亡したとされています。もっとも、これらの数字には戦闘での直接的な犠牲者のみで、戦争に付随して起こった避難、病気、飢餓による間接的な犠牲者は含まれていません。

土地の没収と先住民経済の破壊:

ニュージーランドにおけるイギリスの重大な犯罪の一つは、広範にわたるマオリ族の土地を没収したことでした。植民地法の制定により、部族の土地はイギリス政府の所有物となり、ヨーロッパ人入植者に与えられました。この行為により、

伝統的なマオリ族の経済は破壊しました。

先住民の間に広範囲にわたる貧困と難民化を引き起こしました。

部族の社会構造を崩壊させました。

文化とアイデンティティの破壊を狙った略奪:

イギリスの植民地主義は軍事的・経済的側面にとどまらず、文化的な植民地主義も徹底して実施されました。これにより、マオリ族をイギリス文化に同化させることを目的とした、以下のような文化政策も実行されています;

学校ではマオリ語ではなく英語が必修科目となりました。

先住民族の儀式や伝統は禁止、あるいは軽蔑の対象となりました。

マオリ族の子供たちは家族から引き離され、イギリスの寄宿学校で教育されました。これと同じようなことは、カナダの先住民にも起こっています。

これらの行為は、マオリ族の複数世代を文化的ルーツから切り離し、アイデンティティの危機を引き起こし、彼らに深い精神的・社会的傷跡を残しました。今日でも多くのマオリ族の人々はこれらの犯罪の影響に苦しみ、歴史的なけじめと正義の実施および賠償を求めています。

司法上の不公正と制度化された差別:

植民地時代、ニュージーランドの司法制度は深刻な差別を伴っていました。

マオリ族は裁判所に自らの代表者がいませんでした。

土地および財産に関する法律は、ヨーロッパからの入植者に有利になるように設計されていました。

先住民の抗議活動には厳しい罰則が科されました。

これらの不公正は、政府機関へのマオリ族の信頼を損ない、深刻な社会的分断を引き起こしました。

植民地主義の心理的・社会的影響:

ニュージーランドにおけるイギリスの犯罪は、以下のような長期的な影響を引き越しました;

マオリ族社会における自殺率と薬物使用率の上昇

先住民の教育水準と健康状態の低下

後の世代における疎外感とアイデンティティの欠如

これらの影響は、今なおニュージーランドの社会統計に残っており、植民地主義の深い傷跡を反映しています。

 

 


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