ドキュメンタリー・イラン
イラン西部ロレスターン州のカーカーレザー橋(日本語のナレーション付)
今回は、西部ロレスターン州にあるカーカーレザー橋を動画とともにご紹介してまいりましょう。この橋は州都ホッラマーバードとアレシュタル市をつなぐ街道から20キロほどのところに存在します。
カーカーレザー村の1日は日の出前から始まります。ここを流れるカーカーレザー川は、人々の暮らしに恩恵を与え、この河川によって農業用地が潤され、人々の暮らしが成り立っています。いわば水資源がこの地域の繁栄の基盤を担ってきたのです。
ホッラマーバードからアレシュタル、そしてヌーラーバードの町をつなぐ街道の周辺には、いくつもの谷や平原が広がっています。暖かな陽光に加え、肥沃な土壌、山の裾野やその岩山の合間に点在する豊かな大自然が、さながら美しい緑のじゅうたんを生み出しているかのようです。
この地域では太古の昔から、河川がこの大自然の生命の営みの源でした。これらいくつもの河川は、山々に積もった雪が溶ける頃、雪解け水となって峡谷の合間をぬって、時には静かに、時には轟音を立てて流れ下り、美しい田園風景を生み出してきたのです。
ロレスターン州の山岳地帯には、数多くの深い谷間が存在します。そのため、地域の人々は谷に隔てられた2つの地域を結ぼうと、その腕を振るって常に自然と闘って来ました。このため、イランの建築家たちは、谷に隔てられた地域の人々同士が互いに行き来できるよう、石やレンガでできた道路を建設してきたのです。
遠い昔から標高の高い土地にある長い道は、河川に隔てられた2つの地域に暮らす人々の橋渡し役を務めてきました。こうした道の基礎部分は石でできていて、その間には穴が開けられ、そこを水が通り抜けるしくみになっています。そしてこの基礎部分が支える道の部分を、人々が往来しています。この道は石作りの道路で、カーカーレザー川にかかっていることから同じ名前でカーカーレザー橋と呼ばれています。一説にはこの橋の名前はカーカーレザーという名前の人物に由来するとも言われています。
カーカーレザー橋の外面には、数多くの文様が掘り込まれています。これらを専門的に解析した結果、この橋は20世紀はじめにパフラヴィー王朝を開いたレザー国王の時代、建築家のユーセフ・ガシャングチーによって建設されたとする説が有力です。
カーカーレザー橋には、建築資材として石膏やモルタル、石材が使用されています。この橋は、かつては古い街道上に位置していたことから、極めて重要視されていた時期がありました。別の時期にはアレシュタル市への往来を簡単にする役割を担っていました。ですが、現在は複数の村の人々が行き来するために使用するに留まっています。
この橋の基礎部分には、大小様々な大きさのローマ様式によるアーチ型の穴が緑豊かな平原に向かって開かれています。
カーカーレザー橋の基礎部分は石でできています。橋の上流側にはモルタルと切り出された石でできた3つの波型の三角形の石が置かれ、下流側には四角形の石が置かれています。
日没になるとその日の作業を終えた農夫たちが、この橋を渡ってそれぞれ家路に着きます。
ロレスターン州にあるカーカーレザー橋は、ホッラマーバード市とアレシュタル市を結ぶ街道から20キロほどの距離にあります。この橋は今も、川の両岸に広がるそれぞれの地域をしっかりと結ぶ役目を担っています。
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