聖なる防衛戦の殉教者の日本人母・山村邦子氏とのインタビュー
イラン在留日本人の山村邦子さん(イラン名:サバー・バーバーイー)は、聖なる防衛と呼ばれる1980年代のイラン・イラク戦争での殉教者の生母です。彼女は数年前にイランのテレビ局のインタビューを受け、自身のこれまでの人生などについて語りました。インタビュー抜粋は以下の通りになります。
山村邦子さん:イスラムに関する私の知識は、以前はごく限られたものでした。イスラムは、豚肉を食べることを禁じており、
飲酒も許されず、
男性は4人まで妻を娶れる、といった程度でした。
1958年、後に結婚するイラン人貿易商のバーバーイー氏が仕事のため来日しました。
私は、ある英語教室で彼に出会いました。
ーバーバーイー氏のどのような点が気に入りましたか?
山:彼は日本という、イスラムがほとんど知られていない国でも、恥ずかしがることなく、空港でも授業中でも時間になればどこでも礼拝していました。
ー彼が4人の妻を娶るとは危惧しなかったのですか?
山:はい、そのようなことはしないと確信していました。
息子が殉教してから、ホメイニー師が殉教者の遺族らとの面会の機会を設けていたことで、私たちも時間をとって面会に赴きました。
私はホメイニー師を、それ以前にもテレビで見たことがありました。
彼は、威厳にあふれて強い精神を持つ1人の父親のような人物でした。
ホメイニー師との面会では、ただ泣くことしかできす、
胸が詰まって何も言えませんでした。
面会後外に出たとき、なぜ何も話せなかったのかと後悔しました。
もう1度時間をいただき、ホメイニー師の所に赴きました。
自分の番が来たとき、今度はきっと話をしようと決意しました
私は、自分がイスラムに入信した日本人で、息子が殉教したと告げました。
ホメイニー師は私の頭をなで、私も彼の手に口付けしました。
そして私は、ただただ泣き崩れました。
私はコーランが大好きです。
ペルシャ語を覚えるより先に、まずコーランに出会ってそれを読んでいました。
ー息子のムハンマドさんが戦地に赴くことになった際、ご自身から行くように言われましたか?それとも、息子さんが自分の意志で行きたいと言いましたか?
山:子供を養育する間、子供は自分で理解し、自ら選択するものです。
子供自身が決意し、幸福と思う道を選びます。
両親は、子供の進む道を阻む権利はありません。
_その場合、(母親である)ご自身はどうなってしまうのでしょう?母親の子供に向ける慈愛はどうなるのでしょうか?
山:わが子が幸せになれば、私も嬉しいです。
ーイランのサッカーチームやバレーボールチームが日本と対戦すれば、どちらを応援しますか?
山:私はイランを応援します。
ー本当ですか?
山:はい。私は、イラン人は力強い精神を持った人々だと認識しています。イランの人々は本当にに崇高な精神を有しています。