視点
福島原発処理水の海洋放出計画に対する人々の抗議
日本当局による福島第一原子力発電所の放射性処理水の海洋放出計画の提案は、多くの近隣諸国、中でも予期せず危険なレベルの放射線被害にあった人々の懸念を呼び起こしています。
米ニューヨークタイムズが1日日曜、報じたところによりますと、2011年の東日本大震災とそれに伴う津波災害の後、福島原発には原子炉の炉心部を冷やし続けるために連日100トン以上の海水が注入されましたが、これにより汚染水を浄化した後に残る放射性物質含有の処理水が溜まり、何百もの白や水色のタンクに貯蔵されることになりました。
処理水はこの10年の間、タンク内に貯蔵されてきましたが、その容量は現在、保管計画で定められた137万トンに達し、保管のスペースがなくなろうとしています。このため、日本の当局は来春から、この処理水をさらに浄化処理した後に、これを太平洋に放出しようと計画しています。
日本政府は、海洋放出に代わる現実的な方法はないとし、原子力安全基準を厳守した上で処理水放出を行うと約束しました。そしてこの計画は、国連傘下の核監視機関であり、オーストリア・ウィーンに本部を置くIAEA国際原子力機関によって承認されました。
しかし、この問題をめぐり日本の近隣諸国は、その懸念をつのらせています。特に、米国がマーシャル諸島で行った核実験によって何十年も苦しんできた南太平洋の国々は、原子力安全基準順守の約束を懐疑の目で見ています。マーシャル諸島やオーストラリアを含む太平洋の十数カ国の代表によるグループは先月、日本政府に対し、処理水の放出を延期するよう要請しました。
マーシャル諸島出身の反原子力活動家であるベディ・ラクール(Bedi Racule)氏は、太平洋で行われた核実験の情報について、「嘘でくるまれており、全く信頼できない」と述べています。
この不信感の根は、実際に起きた信じがたい出来事にあります。1954年3月1日、熱帯地域にあるマーシャル諸島の一部であり、ビキニ島の東240キロに位置するロングラップ島に、「雪」が降りました。この島の住民は、このようなものをそれまでに見たことがなく、子供たちははしゃぎまわり、これを口にした人もいました。しかしその2日後に同島に来たアメリカ兵は、この「雪」が実のところ、アメリカがビキニ島で行ったキャッスル作戦の一部・ブラボー水爆実験によって発生した放射性物質であり、風向きが予想外の方向に変化したため、ロングラップ島に降り注いだと伝えました。
この実験の結果、ロンゲラップ島の住民64人全員をはじめとした数百人もの人々が強烈な放射性物質によって被爆し、皮膚のやけどや回復不能な合併症、妊婦の胎児異常などが起こりました。マーシャル諸島の人々は、それから数十年後の現在も、強制避難、土地の喪失、高確率のガン発症などの影響を受け続けています。
ラクール氏はこれをめぐって、「あなた方はこの深い悲しみを感じ取るでしょう。”我々は一体、人間として扱われないほどに悪いことをしたのか?”という」と語りかけています。
この水爆実験による放射性物質の影響を受けたのは、マーシャル諸島の人々だけではありません。静岡県焼津を母港としていた遠洋マグロ延縄漁船第五福竜丸も、水爆実験当時にロングラップの近くを航行していたために、23人の日本人乗組員が被爆しました。彼らの被爆状況は深刻なもので、そのうちの1人、無線長の久保山愛吉さんは6か月後に死亡しました。
日本では、この出来事をきっかけに始めての全国的な反原発運動が起こっています。
日本外務省のある代表者は、南太平洋諸国が抱くこのような懸念に関して、「日本政府は、戦争による唯一の被爆国として、これらの国々が1954年の実験と結び合わせて被爆を恐れていることを理解している」と述べています。