3年前の米軍ヘリ窓落下事件の児童、教師、保護者ら、「ヘリが飛ばない空のもとで」の思い新たに
(last modified Sat, 12 Dec 2020 11:36:30 GMT )
12月 12, 2020 20:36 Asia/Tokyo
  • 米軍ヘリ窓落下事件
    米軍ヘリ窓落下事件

米軍普天間飛行場所属のCH53E大型輸送ヘリの窓が、普天間第二小の運動場に落下してから、13日日曜で3年を迎える中、同校の児童や教師、保護者らが 「ヘリが飛ばない空の下で思いっきり遊びたい」との思いを新たにしています。

米軍普天間飛行場所属のCH53E大型輸送ヘリが普天間第二小の運動場に窓(重さ7・7キロ)を落下させてから、13日日曜で3年を迎えるのを機に、同小で11日、2020年度の全体集会「12・13を考える日」が開催され、児童計623人が、事故当時の様子を写真やニュース映像で振り返りました。

この集会では、知念克治校長が「第二小は今年で51歳になりましたが、51年前から隣は普天間飛行場でした。危険は相変わらず隣にあります」と説明。米軍機が近くを飛んだ時は、①音を聞いて②止まって③目視④怖いと思ったら逃げる―に改めて触れ、「一人一人が自分の命を守れるようにしてください」と呼び掛けました。

また、「危険な場所に慣れている自分が怖い」「ヘリや飛行機が飛ばない空の下で思いっきり遊びたい」など、同小の子どもたちがこれまでの全体集会や米軍ヘリ事故を想定した避難訓練を踏まえて書いた感想文も紹介されています。

この事故現場となった普天間第2小は、普天間小の児童数が増えたことから、1969年に分離し、普天間飛行場の滑走路のほぼ延長線上に位置しており、事務室から見える運動場は飛行場と接したままになっています。

この事故後、同小の運動場は約2カ月閉鎖されました。

事故から3年。当時の2年生の担任たっだ女性は「子どもたちをどうやったら守れるのか、答えが見つからない。体育の授業が運動場じゃなく体育館だと、ホッとしてしまう自分がいる」との思いにかられています。

また、普天間第二小を卒業して約40年後、PTA事務員として同小に戻ってきた同小1期生の女性(53)は、「基地が問題になると必ず巻き込まれる学校。それが普天間第二小だ」と語っています。事故の7年前に鳩山由紀夫首相(当時)が第二小を訪れ「県外移設断念」を説明した時も、事務室には電話が殺到し、観光客が勝手に校舎へ入って来た事実もあります。

この女性はまた、「何かのきっかけで、また同じ状態になるかもしれない。それが、基地とフェンス1枚で隣り合っているこの学校なんです」としながらも、「ヘリのない空の下で」という思いを新たにしています。

 

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