米軍機の墜落から62年、宮森小学校在校生らが犠牲者の冥福を祈念
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宮森小学校在校生らが犠牲者の冥福の祈念
1959年に石川市(現うるま市石川)の宮森小学校への米軍機墜落事故から62年を迎え、同校の児童らが犠牲者の冥福と平和を祈りました。
沖縄の地元紙・沖縄タイムスがうるま市から伝えたところによりますと、1959年に石川市(現うるま市石川)の宮森小学校と周辺住宅地に米軍戦闘機が墜落し、児童を含む18人が犠牲になった事故から62年を迎えた30日水曜、宮森小学校で児童会主催の追悼集会が開かれ、同校の5~6年生約150人が参加し、犠牲者の冥福と平和を祈ったということです。
児童らは黙とう後、「平和の誓い」を群読し、犠牲者の名前が刻まれた「仲よし地蔵」に千羽鶴と花を奉納し、6年生の児童が一人一人校内に設置された「平和の鐘」を鳴らして手を合わせました。
参加した6年生の仲村渠結愛さん(11)は「本当に恐ろしい体験だったと思う。中学生になったら宮森小以外の友達にも事故のことを伝え、6月30日には仲よし地蔵に一緒に手を合わせられたら」と語っています。
また、同校の新垣桂校長は「当たり前の毎日が一瞬で奪われた先輩方がいたことを決して忘れてはいけない。消し去ることのできない歴史を引き継ぎ、命どぅ宝をかみしめて伝えていきましょう」と呼びかけました。
なお、この事故の目撃者で、高校を卒業したばかりの当時19歳だった伊波宏俊さん(81)は、最初に墜落した住宅街へ駆け付け、住民らによるバケツリレーの先頭に立ち、消火活動にも当たっています。
その後、伊波さんは大学へ進学し、中学校の理科教員になった現在、教え子には自らの使命として「事実に向き合い、科学的思考で考える大切さ」を説いてきており、「おかしいことにおかしいと言うために、科学の思考を身に付けないといけない。子どもたちに同じ屈辱を味わわせないためにも当時のことを知ってほしい」と語っています。
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