シーア派初代イマームから側近への、イスラム史上最も示唆に富んだ社会的・政治的勧告
イスラムの預言者ムハンマドの後継者であるシーア派初代イマーム・アリーは、側近のマーレク・イブン・アシュタルをエジプトの統治者に任命する際、統治契約書として記した書簡において、イスラムの政権と為政者のあるべき姿、住民の権利、政府と住民の関係などについて説明しました。
イマーム・アリーの生涯
シーア派初代イマームことアリー・イブン・アビー・ターリブ(イスラム太陰暦紀元前23年~紀元後40年)は、預言者ムハンマドの教友かつその伝承・ハディースの語り手であったほか、預言者のいとこ・娘婿でもありました。彼は、預言者に啓示された神の言葉であるコーランの節を書き留め、スンニー派でも第4代正統カリフとされています。
シーア派の歴史家および大半のスンニー派宗教学者の説明によりますと、イマーム・アリーは現在のサウジアラビアの聖地カアバ生まれで、預言者の言葉を信じた最初の人物でした。
シーア派は、神の命令および預言者ムハンマドの言葉によりイマーム・アリーが預言者の直接の後継者になったとしていますが、彼の不謬性と汚れない純粋さについては、コーランの諸節でも触れられています。
シーア派および一部のスンニー派の資料によれば、コーランの約300節はイマーム・アリーによって書き留められました。彼は預言者の娘ファーティマの伴侶でもあり、シーア派イマームの11人は彼の血を受け継いでいます。
イマーム・アリーは、イスラム太陰暦40年ラマダン月19日の明け方、イラク・クーファのモスクで過激勢力・ハワーリジュ派の一人によって剣で頭部を切られ、これが原因となり2日後の21日に殉教しました。
イマーム・アリーの言行録『雄弁の道(ナフジョル・バラーガ)』
『雄弁の道』は、イスラム太陰暦4世紀後半(西暦11世紀)に学者シャリーフ・ラディーによって編集された書物で、イマーム・アリーの説教、書簡、箴言などが集められており、その内容に見られる雄弁さから「コーランの兄弟」と呼ばれました。
イマーム・アリーが記した最も有名な書簡の一つは、エジプトに赴任するマーレク・イブン・アシュタルに宛てたものです。
この契約書におけるイマーム・アリーの記述は、その一字一句が、何においても責任を引き受ける人物や公正な為政者といった読み手にとっては、知識と英知の宝庫となっています。
ここでは、イマーム・アリーのこの書簡の一部を、3種類にまとめてご紹介します。
その1:イマーム・アリーによる為政者への道徳的勧めの抜粋
- イスラムの為政者は、人々に慈悲、愛情、親切をもって接すべきであり、彼らを食いものにすることを戦いの報酬と受け止めるような、血に飢えた獣であってはならない。
- 可能な事例であれば、人々に恩赦を与えたり(行動を)黙認すること。人々は過ちや間違いを犯しやすいものであり、為政者は赦す寛容さを持つべきである。
- イスラムの為政者は、人々の心の中から恨みやわだかまりを追いやり、また、彼らを善意で理解しなければならない。なぜなら、そのような善意は長年の苦難も取り除くからだ。
- イスラムの為政者は、自身があら探しをすべきでないだけでなく、そのような者たちを自身から遠ざけなければならない。なぜなら、人には欠点があるもので、為政者は彼らの欠点を補うべきだからだ。
- 為政者は、中傷する者がどれだけその行為を善行に見せようとも認めてはならない。
- イスラムの為政者は、神の助けを求め、自身の精神を真実に敬意を払うよう整えることができなければ、神が求めた約束の実践に成功することはない。
- 為政者は、他者に与えた恩赦を悔いるべきではない。また、他者に与えた罰を喜ぶべきではない。
- 為政者は、昼夜関係なく一日で最も良い時間の一部を、神との関係を築くために費やさなくてはならない。また、誠実さにおいて卓越した地位に上るべく職務を遂行し、その他の神に関わる義務も、わずかな粗漏もなく果たさなければならない。
- 為政者は、自身が行った約束を忠実に守り、それに反してはならない。
- 為政者は、自身の悲観的考え、威厳の鋭さ、行動・言葉による攻撃を制御し、意図的な殺害を避けなければならない。
その2:イマーム・アリーによる為政者への社会的勧めの抜粋
- イスラムの為政者の下で最も好まれる事柄は、最も真実を伝える事柄、最も公正が広く纏められた事柄、最も社会の人々の満足にとり普遍的な事柄でなくてはならない。
- イスラムの為政者の下で筆頭にいる人々は、たとえ最も苦々しい状況にあっても、真実を他者より明確に告げるような者でなくてはならない。
- 為政者には隠され明かされない、社会の人々の個人的な過失や醜聞については、そのどれにも無関心であるよう振る舞わなくてはならない。
- 為政者に課せられた義務のひとつは、人々が必要とする事柄を、それを知った当日に叶えることである。どの一日もそれぞれの状況があるため、仕事はその日のうちに行わなくてはならない。
- 為政者は、(一般の)人々から遠ざかるべきではない。なぜなら、社会の人々からその姿を隠せば、物事に関する情報を十分得られなくなるからだ。
- 為政者は、社会の人々より自身の家族・親族を優先・選択することを厳に慎まなくてはならない。
- 為政者は、社会の人々に対し施した恵みで恩を着せるべきではない。また、社会の利益のために行った仕事に他意があってはならない。
その3:イマーム・アリーによる為政者への政治的勧めの抜粋
- 為政者は、吝嗇、臆病、強欲な人々への相談を厳に慎まなくてはならない。なぜなら、そのような本質はすべからく神に対する疑念だからだ。
- 為政者の下では、公正な者と悪事を働く者を決して同等に扱ってはならない。なぜなら、両者を同等に扱うことは、公正な者の良い行いへの侮辱と、悪事を働く者の悪い行いの奨励につながるからだ。
- 為政者は、識者たちが社会的資格に則って行う慣習を壊してはならない。そのような慣習は、社会の人々の間に理性的な調和をもたらしてきたものだ。また、人々の良い慣習を失わせるような慣習は決して定めてはならない。
- 為政者は、人々から自身に出された圧政への非難や要望がどのようなものであっても、それを解決しなくてはならない。もし社会の人々が為政者について圧政や侵害行為を疑っているのであれば、その考えの元となった態度や行動への釈明をはっきりと行い、自身に対する人々の不当な疑いを取り除かなくてはならない。
- 為政者は物事に関して、適した時期となる前に急ごうとしてはならない。
- 為政者は、物事に曖昧さや不明な部分がある時、真実を見つけ出し受け入れる対処を取るかわりに、それを押し通すことに頑迷になってはならない。
- 為政者は、皆にとって平等である事柄において自身を他者より優先させてはならない。つまり為政者は、生存、尊厳、自由などの権利に関して自身が他者より優先すると考え、人々の生活や尊厳に関する権利を踏みにじることがあってはならないということである。
- 為政者は、自身に責任があり人々の目に触れるような物事において、注意力散漫や怠惰、無知であってはならない。