人々のニーズを満たすべし:シーア派6代目イマームによる11の社会・倫理的知見
シーア派6代目イマーム・サーデグは次のように述べています。
「民事の責任を担い、正義を実践し、人々に対し自宅の門戸を開き、悪事をはたらかず人々の問題に気を配る者には誰でも、全能の神からの報酬が与えられる。その報酬とは、神がその人を最後の審判の日に恐れや恐怖から救い、天国に連れて行ってくださることである」
別名ジャアファル・ビン・ムハンマドとして知られるイマーム・サーデグ (西暦702~765)は、父であるシーア派5代目イマーム・ムハンマドバーゲルの後を継いだ6代目イマームです。
彼は34年間(731~765)にわたりシーア派の導師イマームを務めていましたが、これはウマイヤ朝の最後の5人のカリフ、つまりヒシャム・ビン・アブドゥル・マリク以降、そしてアッバース朝の最初の2人のカリフ、サッファーフ及びダヴァ―ニーキーらの在任中と同時期に当たります。
ウマイヤ朝政府が脆弱だったことから、イマーム・サーデクは、他のシーア派イマームよりも大々的な学術活動を行っていました。彼の門下生や伝承者の数は4000人にも及びます。預言者一門の伝承の多くはイマーム・サーデグ由来であることから、イスラム教シーア派はジャアファリー派とも称されています。
イマーム・サーデグは、イスラム教のもう1つの宗派・スンニー派の法学指導者の間でも高く位置付けられています。彼に関しては、アブー・ハニーファとマーリク・ビン・アナスによる多くの伝承があります。特に、アブー・ハニーファはイマーム・サーデグをイスラム教徒の中で最も学識ある人物であるとみなしていました。
イマーム・サーデグは次のように述べています。
「我ら預言者一門は、その公正さにより我々に圧政を敷いた者を赦した一族である」
10世紀のイランのシーア派学者シェイフ・サドゥクは、イマーム・サーデグがアッバース朝2代目カリフ、マンスール・ダヴァ―ニーギーの命令により毒殺され殉教したと記しています。
今回は、イマーム・サーデグの殉教記念日にあたり、このイマームの11の倫理・社会的勧告を取り上げることにいたしましょう。
・己の欠点に集中せよ
他人の欠点を主のように上から見るのではなく、謙虚な僕として自らの欠点を見つめるがよい。
・虚言や約束不履行、裏切りから離れよ
次の3つの行動は、たとえその行為者が祈りや断食をする人であっても、偽善の兆候を示す指標である。その3つとは虚言、約束を破る、信頼を裏切ることである。
・学者であるか、学問を探求せよ
若年期は次の2つのいすれかの状態のみであることが望ましい。それは、聡明であるか、または何かを学んでいるかのいずれかである。
・寛大に、そして善良な性格であれ
そなたに寛大さと善良な性格があらんことを! ネックレスが美しいのは、その中央に大きな宝石が存在するからであるのと同じように、これら2つの性質は男性の装飾品でもある。
・公正であり、民事に配慮せよ
民事の責務を担い、正義を実践し、人々に自宅の門戸を開く者は誰でも、全能の神により報酬として、恐怖と恐れから守られ、最後の審判の日に楽園に連れて行ってもらうことができる。
・祈祷に飽きるなかれ
決して祈祷や祈りを止めるなかれ。なぜなら、祈る事以外にあなたは決して神に近づく手段を持たないからである。そして、自らの必要がいかに小さくとも、それを求めることを決してやめてはならない。なぜなら、その小さな必要を満たしてくれるものは、全能の神に他ならないからだ。
・意欲的に人々と握手せよ
神の預言者(ムハンマド)は、相手が手を引っ込めない限り、相手と握手をしないことはなかった。
・冗談を言える人であれ、だが真実のみを述べよ
神の預言者はよく冗談を言ったが、真実以外は何も言わなかった。
・人々が理解できるように物を言うがよい
神の預言者は決して、人々に自分の知性の範囲で語ることはなく、「我々預言者は、人々の知性と理解の範囲で語るよう命じられている」と述べられた。
・常に芳香を放て
神の預言者はかつて、食べ物よりも香水に多くを費やしていた。
・質素な生活を心がけよ。だが客人は温かく迎えよ
シーア派初代イマーム・アリーは、食べ物の点で神の預言者に最も似た人物だった。彼自身もパン、酢、オリーブオイルを食べ、賓客となった人々にはパンと肉を与えた。