厳寒から極暑へと苦しめられ続けるガザの人々
UNRWA国連パレスチナ難民救済事業機関のスコット・アンダーソン副事務局長が、「ガザでは気温の上昇により、食糧送付と同様に病気蔓延との闘いが優先課題となっている」と述べました。
米紙ニューヨークタイムズは、ガザの人々が極暑の季節に苦しめられることについて取り上げた記事において、「マルヤム・アラファートさんが、夫と幼い3人の子どもたちとともにイスラエル政権の爆撃を避けてガザ市内の自宅から逃げ出したのは、冬の寒さの只中だった。ガザ中部デイルアルバラの古いテントへの避難を余儀なくされたこの一家は、暖房に使える燃料がなく、十分な防寒着もなかったため、寒い冬の夜は震えて過ごしていた。季節が変わった現在、ガザの気候は蒸し暑いものとなり、このテントは一転して、耐えられないほどの息苦しく暑い場所となっている」としました。
23歳のアラファートさんは、暑さのあまり声を上げる息子のヤフヤーちゃんを膝に乗せながら、次のように語ったということです;
「(仮住まいの)テントは、火が付いたように熱くなっている。とても暑くて、特に子供たちが耐えられない」
ガザに住む約200万人のパレスチナ人は、シオニスト政権イスラエルの爆撃により自宅からの避難を強いられ、冬の間は、燃料不足によって寒さに大いに苦しめられました。彼らが暮らしているのは、冬の寒さを防ぐことができないシンプルなテントですが、 5月に入り39度まで気温が上昇する日々が近づく現在、日陰となる木はほとんどなく冷房設備もない環境は同じテントを、「耐えがたい」暑さの場所へと変えています。
これに関連しては、UNRWAのアンダーソン副事務局長も、「ガザでは気温の上昇により、食糧送付に並んで病気蔓延との闘いが優先課題となっている」と述べています。
最新の報告によれば、ガザではイスラエル政権の攻撃により、これまでにパレスチナ人3万4000人以上が殉教、7万7000人以上が負傷している上、約8000人が瓦礫に埋もれて行方不明となっています。また、ガザ戦争の殉教者と負傷者は、73%が女性と子どもで占められています。
シオニスト政権イスラエルは、パレスチナがイギリスの委任統治領となっていた1917年に計画が立てられ、ユダヤ人を移民させた上で、1948年にパレスチナ領土に樹立されました。同政権はそれ以降、パレスチナ人を虐殺して彼らが持つ土地全てを奪おうと目論んでいます。
イランは、植民地主義政権イスラエルの解体およびユダヤ人入植者の元の土地への帰還を真剣に支持している国の一つです。