イスラエルはネタニヤフと同義、米はガザ戦争を西アジアでの生き残りの闘いとみなす
あるアナリストが、シオニスト政権イスラエルのネタニヤフ首相について、米国や同政権イスラエルの軍・社会の支援なく自身だけでは、これほどまでにガザや地域で権力の行使・誇示や犯罪を引き起こすことはできなかっただろう、とする見解を示しました。
西アジアでの最近の出来事における米・イスラエル関係を分析することはきわめて重要です。パールストゥデイによりますと、サーベル・ゴル・アンバリー氏は21日水曜のイランの新聞アールマーネ・エムルーズに掲載された論説において、次のような見解を示しました;
1. ネタニヤフ氏は在シリア・イラン大使館への攻撃により、アメリカを地域戦争に巻き込もうとしている...
2. レバノン首都ベイルートおよびテヘランでの最近の暗殺事件により、ネタニヤフ首相はアメリカをイランとの地域戦争に引きずり込もうとしている...
3. 戦争と大量虐殺の継続、そして交渉決裂の唯一の原因はネタニヤフ氏である...
これらやそれに類似する事柄の前提にあるのは、ガザ戦争全体の沈静化、停戦、西アジアでの緊張の高まり、そして起こり得る地域戦争を矮小化して、戦争と緊張を個人的なものとすることである。
これらの事柄、特にアメリカを戦争に巻き込むというネタニヤフ氏の計画にあるもう一つの前提は、我々の活動家は米の支援抜きでネタニヤフ氏のことを考え、アメリカの意志を奪い、ホワイトハウスがネタニヤフ氏と彼の意志に唯々諾々と従うよう吹き込んでいるというものだが、それは正しくない。
アメリカの譲れない一線はイスラエル政権であり、その政治家や彼らの個人的な目標ではない。筆者がすでに強調したとおり、ガザ戦争の継続と停戦失敗の「最も重要な要因の一つ」はネタニヤフ氏自身、権力の座への留任という彼の個人的な動機と自らの政治の将来への懸念、早期選挙の実施、そして昨年10月7日の攻撃の内部的影響であることは紛れもない事実である。だが、間違いなくこれが戦争継続と停戦の失敗の唯一の原因ではなく、他の要因も関係している。
ネタニヤフ首相の対ガザ・地域政策はいずれも、イスラエル社会の大多数の支持を得ており、これが彼の人気の段階的かつ指数関数的な上昇につながり、初めてガンツ前イスラエル戦争大臣を上回り、最近の暗殺事件の後、再びイスラエル首相候補の筆頭者となった。
ネタニヤフ氏に対するイスラエル占領地内での主な反対の原因は、パレスチナ人に対する彼の政策やガザでの大量虐殺ではなく、占領地内問題、昨年10月7日の攻撃であり、時には戦争の優先順位をめぐる意見の相違ということもあった。例えば、イスラエル野党は現在、人質の命を救うために停戦を受諾すべきで、そうすればイスラエル政権は将来いつでも好きなときに戦争を再開できると考えているが、ネタニヤフ首相はこれに反対している。
ネタニヤフ首相とバイデン現米政権の間にも同様の意見の相違があることは否定できない。しかし、停戦の必要性やガザでの民間人殺害への批判に関する米ホワイトハウスの声明にもかかわらず、10か月経った今でも、こうした意見の相違は、この戦争における戦略や実際の立場の変更にはつながっていない。武器支援や安全保障・軍事面での協力は依然としてしっかり残っている。
これは、バイデン政権がネタニヤフ氏の領内で好き勝手をし、これらすべての軍事力を地域に送付していることが必ずしも、ネタニヤフ氏の留任目的ではないという意味ではない。逆に、それはホワイトハウスがこの戦争とその運命をネタニヤフの戦争ではなく、アメリカ、イスラエル、そしてその対西アジア政策の戦争だと考えていることを意味する。
実際、ネタニヤフ氏とイスラエルの運命がある意味で結びついているということになる。この戦争におけるアメリカの政策と戦略は、イスラエル政権の将来の確保、そして地域における抑止力の回復であり、ネタニヤフ首相もこれを利用して権力維持を狙っている。
また、このレベルでの意見の相違は、イスラエル首相が米国の調整なしに地域で戦争を始めたい、あるいは開始できることを意味していない。ネタニヤフ氏とバイデン氏がどれほど意見対立があっても、米国の協力と調整なしには最近の暗殺は実施できなかったはずである。基本的に、米国とイスラエル政権の深い関係の性質上、ネタニヤフ首相がこの調整なしに地域レベルでこのような戦争寸前の緊張を扇動する措置を講じることはできない。
さらに、たとえネタニヤフ氏がそのような計画を独自に持っていて、アメリカとの連携を望んでいなかったとしても、CIA米中央情報局がハニヤ・パレスチナ・イスラム抵抗運動ハマス政治局長とシュクル・ヒズボッラー最高幹部の暗殺前に、地域戦争を狙うネタニヤフ氏と彼の陰謀を阻止すべく、ネタニヤフ氏の決定を独自の方法で見出さず、ホワイトハウスに情報を提供しなかった可能性は非常に低い。
ネタニヤフ首相とバイデン氏の意見の相違は否定できない事実だが、宣言された戦争管理上の要件に基づいてある程度誇張されているように見える。そして、戦争や地域の緊張を「個人化」し、それをネタニヤフ首相の個人的な目標に矮小化することも、ネタニヤフ首相のてこを利用してこの戦争の交戦勢力の行動や政策をコントロールするという、ある種の地域分業に焦点を当てたものではないように思われる。
また、この個人化の結果も、この組織的な虐殺をネタニヤフ首相の個人的な問題と個人的な動機に矮小化させ、ネタニヤフ首相はこの虐殺の責任をもっぱら自分に負わせることになる。これにより、世界におけるイスラエル政権の全体的なイメージへのダメージも多少軽減されることになる。
実際、米国、イスラエルの社会と軍の支援がなくネタニヤフ氏単独では、ガザでも地域でもあれほどの権力の行使・顕示はできなかったはずである。