8月 11, 2020 17:53 Asia/Tokyo
  • ハッサン・ディアブ氏
    ハッサン・ディアブ氏

レバノンのディアブ首相は10日月曜、辞任しました。アウン大統領はこの辞任を受理したうえで、新首相が任命されるまでの期間、ディアブ氏を暫定首相に任命しました。

ハッサン・ディアブ氏は、1943年にレバノンが独立して以降、54代目の首相です。1992年以降でも5人の首相が辞任しています。したがって、レバノンでの内閣総辞職は決して目新しい問題ではありません。

もう1つのポイントは、ディアブ氏は首相就任から7か月足らずで辞任しましたが、これが首相としての就任最短記録ではないということです。2005年にはナジーブ・ミーカーティー氏がわずか3か月間、ウマル・カラーミー氏が4か月間首相を務めたという記録があります。

もう1つの重要な点は、レバノン国内外の抵抗運動の反対者が、新旧のメディアを通じて、ディアブ内閣の総辞職をレバノンのシーア派組織ヒズボッラーの敗北と見なす一方で、ヒズボッラーをレバノンでの経済的、政治的不安の要因であるとしていることです。事実は、ディアブ氏の辞任は、ヒズボッラーの敗北ではないということです。なぜならば、ディアブ氏は抵抗する首相ではなく、ヒズボッラーが2011年のナジーブ・ミーカーティー政府、2014年のタンマーム・サラーム政府、2016年と2019年のサアド・ハリーリー政府を形成するプロセスに協力したように、むしろ抵抗勢力の連合の助けを借りてのみ、彼は内閣を形成することができたからです。

現在のレバノンの無秩序の要因としてヒズボッラーを挙げることも、ヒズボッラーに対する戦争という形での「事実を逆にすること」と「誤った認識作り」です。この28年間のうち、およそ15年間は ラフィーク・ハリーリー氏(10年)とサアド・ハリーリー氏(5年)が権力を掌握していました。そしてヒズボッラーと激しく対立したフアード・シニオラ氏は52か月間権力の座にありました。ナジーブ・ミーカーティー氏とタンマーム・サラーム氏は両者合わせて70か月間権力を握りましたが、どちらも西側よりの勢力・3月14日運動の人物でした。ヒズボッラーは基本的にサリーム・アル=フッス (1998-2000)とウマル・カラーミー政権(2004-2005)における役割はなく、政権の形成にも全く関与していませんでした。 したがって、現在の無秩序の要因として、ヒズボッラーの名を挙げることと、同組織のナスロッラー事務局長に対する抗議者による侮辱は、レバノンの認識上の戦争という枠における目的化された計画的な行動です。

最後に重要な点は、1943年以降これまでの現代レバノンの変革は、この小国の政府が短命であることを示しているということです。 過去78年間の54人の首相の平均就任期間は1年4か月です。1992年にラフィーク・ハリーリー氏が権力を握ってからの28年間で、レバノンでは12の政権が誕生しましたが、これらの政権の平均存続期間は2年3か月でした。この状況は、なぜレバノンは基本的に短命政権の土地であるのか?という重要な問題を提起します。 この問いへの回答は、レバノンの地理的状況の中に求められない可能性があります。辞任につながったディアブ政府に対する政治的、社会的暴力は、外部からの圧力なしには形成されなかったことから、その回答は国外に求められる必要があります。

レバノンでの政情不安は、外国勢力の主要な優先事項および目標の1つであると思われます。

 

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