視点
イスラエル政府への抵抗に武力行使を選んだパレスチナーその理由
イスラム教徒の断食月・ラマザーン月の最終金曜日に当たる、パレスチナ人との連帯を示す日「世界ゴッズの日」を目前に、パレスチナの各抵抗組織が声明を発表し、シオニスト政権イスラエルの犯罪に言及するとともに、同政権に対する最も重要な部類の抵抗は武力による抵抗になるだろう、としました。
聖地ベイトルモガッダス・エルサレムにあるアクサーモスクの境内は今月15日以降、この1年にシオニスト政権軍とパレスチナ人礼拝者との間で起きた中でも最も激しい衝突の場となっており、これまでに少なくとも350人のパレスチナ人が負傷したほか、400人以上が逮捕されています。
このような事態に発展した、この事態について注目すべき第1の点は、衝突の根源です。そもそも占領・拡張的な体質をもつシオニスト政権は、アクサーモスクを完全に掌握しようと企んでいます。このため、このモスクの立ち入りにユダヤ教徒に優先権を与えるとともに様々な口実を設けては、イスラム教徒の歴史ある聖なる場、そしてパレスチナの象徴としてのこのモスクへのパレスチナ人の立ち入りを妨害しています。こうした違法な行動は、パレスチナ人の感情を逆なでし、彼らの宗教的なアイデンティティを否定することにもなっています。マンスール・パレスチナ国連大使はこれに関して、「聖地やアクサーモスクに対するイスラエルの攻撃は、歴史あるイスラム的な場所への攻撃にとどまらず、パレスチナ人の、そしてイスラム教徒やキリスト教徒、それ以外の人々の感情をも逆なでする行為に等しい」と語りました。
第2の点は、パレスチナ人がイスラエルによる犯罪に対し抵抗する道を選んだことです。その理由は、これまでに起きた出来事から、イスラエル政権が民衆の抵抗に対し自らの立場から引き下がらざるを得なくなる、ということがパレスチナ人にとって証明されたためです。このような出来事はレバノン、さらにはパレスチナでも見られました。イスラエルは1980年代に、レバノン首都ベイルートを占領しましたが、市民の抵抗により同市からの撤退に追い込まれ、同国南部に自らの軍を後退させました。レバノンのシーア派組織ヒズボッラーの軍の抵抗のあと、イスラエル軍は醜態をさらしながら同地からも撤退しています。そして、2006年にイスラエルはレバノン南部を攻撃したものの、このときも敗北に終わり、過去16年間には同国のヒズボッラーに対する攻撃は一切行っていません。
イスラエルはパレスチナにおいても、同国ガザ地区の占領に向け行動を起こしましたが、ガザ市民の抵抗によりこの地区は各抵抗組織の掌握下におかれたままとなっています。今日、イスラエルはもはやガザ地区占領を考える勇気すらないばかりか、ガザ地区での各抵抗組織の抑止力抑止力強化が妨げられることが、その主要な懸念材料にもなっています。
こうした一連の歴史的経験からは、イスラエルは抵抗戦略からの被害を受けやすく、抵抗に遭遇した場ではいずれも自らの拠点からの撤退に追い込まれたことが示されており、さらにその一方で、パレスチナ側にとっても、一部のアラブ諸国首脳の対イスラエル妥協や関係拡大という裏切り、さらには対イスラエル交渉でパレスチナ自治政府が失敗した経験によって、イスラエルに対しては抵抗以外に道がないことが示されました。
そして、もう1つの重要な点は、最も効果のある重要な抵抗の種類が武力による抵抗であるということです。これに関しては先般においても、殉教を伴う作戦が実施されていますが、その理由は、この部類の抵抗がイスラエル側の治安・情報面での脆さを示すとともに、同政権に人的被害を与え、それがイスラエル政府関係者やシオニスト入植者の恐怖心をそそることにあるのです。