ボスニア・ヘルツェゴビナの虐殺犠牲者の遺体、30年を経て埋葬
6月 22, 2023 19:25 Asia/Tokyo
1995年に内戦下のボスニア・ヘルツェゴビナで、イスラム教徒であった多数のボシュニャク人が殺害された「スレブレニツァの虐殺」の犠牲者のうち、身元の判明した29人の遺体が埋葬されました。
1995年7月11日は、人道を謳うヨーロッパ各国政府にとって屈辱の日となりました。この日に起きたスレブレニツァの虐殺に対して、欧州各国はただ指をくわえて見ることしかできず、この人道的悲劇をなかったことのように扱うほかありませんでした。
1992年に旧ユーゴスラビアから独立したボスニア・ヘルツェゴビナでは、直後からセルビア人勢力がボシュニャク人に対する虐殺など多くの犯罪を行い、子供や女性を含む多くのイスラム教徒が殺害されました。
スレブレニツァの虐殺はそうした犯罪が頂点に達したものであり、セルビア人勢力の指導者であるラドヴァン・カラジッチ被告やラトコ・ムラディッチ被告、そして当時のセルビア共和国大統領で後のユーゴスラビア大統領となるミロシェビッチ氏やそれを支援していた英仏により引き起こされました。
IRIB通信によりますと、ボスニア・ヘルツェゴビナ行方不明者委員会は、スレブレニツァの虐殺犠牲者のうち、29人の身元がDNA検査で判明し、遺体の一部が埋葬されたと発表しました。そのうち最年少は15歳、最年長は63歳でした。
スレブレニツァの虐殺では、8372人のボシュニャク人が殺害され、そのうち遺体が埋葬されたのは6750人とされています。
各国際機関は、スレブレニツァの虐殺を第二次大戦後にヨーロッパで起きた最悪の人道被害と位置づけています。