米による対イラン複合戦争の実相 世界的抵抗に対する植民地支配の試み
アメリカはあらゆる手段を使って、西側諸国の植民地主義・覇権主義的本質を厳しく批判してきたイラン・イスラム共和国の体制転覆を図るべく、圧力を加えてきました。それは、1979年のイスラム革命から今日まで、ハード・ソフト両方の政策を用いた圧力でした。
その中には、暴動や政治的不安の誘発、経済制裁、テロ、民兵組織への支援、軍事行動、地域の反イラン勢力への支援、サイバー攻撃、人権を利用した不当な非難、文化的侵略などが含まれます。
その中でも、幾重にも行使された経済制裁は、イランに対する複合戦争の代表例です。
複合戦争の特徴は、その形態に前例がないことです。つまり、確実性のある前例を用いるのではなく、ターゲットとなる社会に合わせた個別のコードにもとづく原則を利用します。つまりイランに対する複合戦争は、イラン専用のモデルだということです。
米国防総省は情報作戦に関するドクトリンの中で、情報環境を「個人」「組織」「制度」の3つの互いに関連する側面から定義しています。これら3つは、「物理的側面」「情報的側面」「認識的側面」に対応します。
物理的側面は、司令部や意思決定機関、およびその下部組織などから成ります。情報的側面は、情報の収集、分析、保存、拡散方法に関するものです。認識的側面は人間に関連するもので、情報を媒介する人間の思考を扱います。
アメリカやイスラエル、イギリスなどの一部欧州諸国といったイランの敵は、1979年のイスラム革命後、イラン国内の内乱を支援するため、資金・物資援助をし、間接的にイランの体制に対する戦争に介入してきました。そして、分離独立運動の扇動やクーデターの計画、直接的な軍事行動などを通じて、国内テロの種をまき、MKO(モジャーヘディーン・ハルグ)といった国外の反イラン勢力の力も借りながら、最高指導者殺害による体制転覆を狙ってきました。しかし、そうした一連の計画が失敗したとわかると、イラクをそそのかして8年間に及ぶイラン・イラク戦争を始めさせたのです。
アメリカを筆頭とする西側の植民地主義勢力がイランに対してとる戦略は、単一の側面を持つものではなく、上記の「物理的側面」「情報的側面」「認識的側面」からなる複合的なものです。そしてそれは、イランの影響力がおよぶ地域にも経済、政治、軍事的圧力を加え、戦火をもたらすものなのです。
こうした勢力がもくろむイランの体制変更あるいは崩壊が実現するとすれば、それは認識が変わる時です。アメリカの歴代大統領や西側の指導者がとってきた圧力戦略も、こうした複合戦争の枠組みであったことは明らかです。
情報環境に影響を及ぼすことは、イランに最大限の圧力を加える上で西側諸国が得意とするところです。アメリカは圧力の一方で、イランと対話する用意があると繰り返し主張しますが、それも対話を武器とした複合戦争の一部なのです。
複合戦争は、トランプ前米大統領がそうしたように、イランに対する危機を創出するためあらゆる要素を総動員し、その効果が長く続くようにするのです。
この記事は、学術誌「安全保障の地平」に掲載された論文「西側諸国による対イラン複合戦争の分析」からの抜粋です。